オデイ・アセットのクリスピン・オデイ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【41】―

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◆更迭された財務相は元アナリスト


 前回は2022年秋に起きた英国金融市場の混乱に乗じて、高いパフォーマンスを得たと報じられたロコス・キャピタル・マネジメントのクリス・ロコスを紹介しました。今回は、ロコス・キャピタルと同様に、英国金融市場の混乱で高いパフォーマンスをあげたと伝えられている英国老舗ヘッジファンド、オデイ・アセット・マネジメントのクリスピン・オデイを取り上げます。オデイ・アセットは混乱前から英国債の空売りポジションを構築しており、同社の主力ファンドの2022年1-9月期の運用成績は193%にも及びました。
 
 しかも、経済の混乱を招いたとして更迭されたクワーテング英財務相が、政治家になる前はオデイ・アセットでアナリストとして働いていたために物議を醸しています。英野党・労働党議員の中には英財務委員会の委員長に、ヘッジファンドマネージャーによる「インサイダー取引」の可能性を調査するように求めた者もいました。もちろん、オデイは「くだらない」陰謀説として否定しています。ちなみに、責任を取る形で退陣に追いやられたトラス首相の後任となるスクナ新首相は、第21回で取り上げたクリス・ホーンが率いる英系アクティビスト(物言う株主)・ファンド、ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド・マネジメント(TCI)の出身です。

▼TCIのクリス・ホーン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【21】―
https://fu.minkabu.jp/column/1320

 ただ、今回の混乱に拍車を掛けた英国年金のLDI(Liability Driven Investment、債務主導投資)による損失穴埋めの資産売却は「止みそうにない」との見方があり、「LDIの危機は始まったばかりだ」とオデイは警告しています。なお、英国金融市場の混乱やLDIにつきましては、以下をご参照ください。

▼ロコス・キャピタルのクリス・ロコス(前編)―デリバティブを奏でる男たち【40】― 
https://fu.minkabu.jp/column/1681
 

◆オデイとオデイ・アセットの生い立ち


 ロビン・クリスピン・ウィリアム・オデイ(通称クリスピン・オデイ)は、1959年に英国ヨークシャーで生まれました。実業家であった父親が校長を務めていた英国屈指の寄宿学校ハロースクールで学び、16歳でオックスフォード大学のクライストチャーチ校に入学。1980年に歴史と経済学の学位を取得して卒業しました。

 しかし、卒業後すぐに父親の莫大な債務が発覚します。彼は父の債務を返済するため、英国では由緒正しいクリザロー家の出身だった母親が保有する先祖代々の土地4000エーカーを処分するという仕事をしなければなりませんでした。

 オデイは大学卒業後、法廷弁護士の資格を取得しますが、1983年に英国の投資会社フラムリントン・グループ(仏保険会社アクサの投資運用子会社アクサ・インベストメント・マネージャーズが2005年に買収)でファンドマネージャーとして働きます。ただ、すぐに英国女王陛下の銀行と呼ばれるほどの名門だった英ベアリングス(1995年に破綻、オランダの総合金融機関INGグループが買収)のグループ企業に転職します。ベアリングスにつきましては、以下をご参照ください。

▼1995年 ベアリングス(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【4】
https://fu.minkabu.jp/column/648

▼1995年 ベアリングス(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【4】
https://fu.minkabu.jp/column/666

 そこでベアリング・ヨーロピアン・グロース・トラストという年金ファンドを運用し、抜群の成績を残したオデイは、英国の主力金融機関であるバークレイズ創業者一族の末裔で、英資産運用会社シュローダーの非常勤取締役であった2番目の妻に勧められ、オデイ・アセット・マネジメントを1992年に設立しました。このときジョージ・ソロスやロスチャイルドが支援するグローバル・アセット・マネジメント(後にUBSグループを経てスイスのプライベートバンクであるジュリアス・ベア・グループが買収)の創設者ギルバート・デ・ボットンなどから資金を提供されたと言われています。

 オデイ・アセットの設立当初は欧州株のロング・ショート戦略を中心に投資し、初年度は株価指数が下落したにもかかわらずプラス28%、翌年度はプラス42.9%の好成績をあげました。その頃からオデイは日本のバブル崩壊に感化されたのか、世界がデフレに見舞われるとの見立てに基づいて欧州債を買い集めます。ところが、1994年の春から米連邦準備制度理事会(FRB)が利上げを始め、他の中央銀行も追随。そのため金利は上昇し、オデイの運用成績はマイナス34.8%と大きく落ち込みました。

 

◆3つの体制強化


 これを受けてファンドの解約も相次ぎ、運用資産が激減したことから、オデイはリスク管理体制の強化を図ります。ポートフォリオ全体に対する最大のリスクが、どのポジションによるものなのかを分刻みで観察できるようにし、各投資対象の相関関係などといった他のリスク要因も監視できるようにしました。

 また、財務管理体制の強化も図ります。英国の小さな商業銀行であったレオポルド・ジョセフ(2004年にバミューダのバンク・オブN.T. バターフィールド&サンが買収)の最高経営責任者、デビッド・フレッチャーをオデイ・アセットの会長兼共同CEO(最高経営責任者)として招聘し、財務管理を任せました。

 加えて、資産運用体制の強化も図ります。主力ファンドなどの運用は引き続きオデイが担当しますが、他社から有能なファンドマネージャーを引き抜き、新たなファンドを立ち上げて運用を任せました。英資産運用会社、ヘンダーソン・グループ(2017年に米ジャナス・キャピタル・グループと合併、現在はジャナス・ヘンダーソン)のヘンダーソン・グローバル・インベスターズでファンドマネージャーをしていたアレックス・グリフィスには、日本株のロング・ショート・ファンド、オデイ・ジャパン・アンド・ゼネラルを任せました。このファンドは2000年に立ち上げられましたが、運用不振でグリフィスが辞任。後任が見つからず、残念ながら2008年には閉鎖されています。

 その一方で、英スコットランドの投資運用会社、ベイリー・ギフォードでファンドマネージャーをしていたヒュー・ヘンドリーは大変優秀だったようです。ヘンドリーはベイリー・ギフォードを退社した後、スイスの主力金融機関、クレディ・スイス・グループの投資顧問会社で短期間働きますが、1999年にオデイ・アセットへ転職しました。主力ファンドをオデイとともに共同で運用していたほか、他のファンドなども手掛けています。そのあまりの優秀さにオデイは「1990年代のオデイは(オデイの)一人バンドだったが、2000年代のオデイは(オデイとヘンドリーの)二人バンドだった」と称するほどでした。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。