元コットン・カウボーイのポール・チューダー・ジョーンズ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【48】―

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◆ジュニア3のひとり


 前回は伝説の商品ヘッジファンド、コモディティーズ・コーポレーションに在籍していたブルース・スタンリー・コフナー(通称ブルース・コフナー)が創設した老舗マクロ系ヘッジファンドのキャクストン・アソシエイツを紹介しました。今回はコフナーとともに、1990年代におけるヘッジファンド業界の「ジュニア3」の一人に数えられた、チューダー・インベストメント・コーポレーション(2022年2月末現在の運用資産額は249億ドル)を率いるポール・チューダー・ジョーンズ二世(通称ポール・チューダー・ジョーンズ、PTJ)を取り上げます。


▼老舗マクロ系ファンド、キャクストン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【47】
https://fu.minkabu.jp/column/1817

▼老舗マクロ系ファンド、キャクストン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【47】
https://fu.minkabu.jp/column/1825

 彼は1954年に米テネシー州で生まれました。地元の高校を卒業した後はバージニア大学に進学して経済学を専攻します。在学中に、「タートルズ」というトレーダー集団を養成したリチャード・デニスの言葉に感銘を受けます。また、世界的な綿花商であり、綿花のトレーダーでもあったビリー・デュナバントが叔父であったこともあり、トレードという仕事に憧れがあったといいます。

 大学を卒業した1976年、トレーダーになるため叔父を頼ると、ニューオーリンズの綿花先物トレーダーであるエリ・チュリスを紹介され、彼の下で修業することになりました。その後に、米大手証券会社であったエドワード・フランシス・ハットン(1988年にシェアソン・リーマンブラザーズが買収)に転職。商品ブローカーとして力をつけて1980年に独立、チューダー・インベストメント・コーポレーションを創設します。その際にコモディティーズ・コーポレーションからの出資を受けました。同社はコモディティーズが初めて外部に投資した5法人の一つとなりましたが、出資額はコモディティーズの副社長にまでなったマイケル・フィリップス・マーカスが、入社当初に任された金額と大きく変わらず3万ドル程度でした。
 

◆ジョーンズの投資哲学


 こうした経歴を持つジョーンズの投資スタイルは、基本的に価格動向を注視するトレンド・フォロー型です。キャクストンを創設したコフナーの3つの基本原則(①市場に耳を傾けること、②政治と政策の問題、③リスク管理)の①と同様に、「まず最初に線路に耳を当ててみる」と彼は語り、価格の動きが先でファンダメンタルズは後からついてくる、と常に信じているとのことです。

 また、コモディティーズ・コーポレーションでよく行われていた心理的洞察に似た手法も用います。他の市場参加者が、どのようなポジションを持っていて、どのような心理状態にあり、価格変動の方向やスピードなどによって、どのような投資行動に走るかを推測するというものです。これは綿花取引所のフロアで場立ちをしていた時に養ったスタイルのようですが、当時のビッグ3や他のジュニア3はもちろんのこと、仲間のヘッジファンドや金融機関、商社などと頻繁に連絡を取り合って情報収集をすることにこだわっているようです。

 こうして得た情報やファンダメンタルズを基に、市場が今後どのような展開をみせるかについて台本を描き、その台本が現実になる瞬間を捉えるべく、少ない金額で何度も練習しながらシミュレーションを繰り返します。その作業を行うことによって、台本が現実となったときに素早く対応できる、といいます。

 まとまった注文を効果的に出すことで、時には相場変動のきっかけを自ら作りだそうともします。彼は米陸軍大将であったジョージ・スミス・パットン・ジュニア(1885-1945)を信奉しており、彼のスローガンであった「大胆不敵であれ」を地で行くようにマーケットへの奇襲攻撃を得意としていました。もっとも、それでマーケットが動くかどうかは、地合い次第だとも考えています。

 加えて彼の強みは、自分が過去に述べたことや自分のポジションに忠誠を尽くさないことです。常に変化し続けるマーケットにおいて朝令暮改は当たり前のことですし、また自分が幾ら儲かっているのか、損しているのか、などは市場にとって関係ない話なので、それに囚われるべきではないとしています。そして、評価損となっている不利なポジションはすぐに手仕舞うこと、評価益となっている有利なポジションは持ち続けることを信条としています。相場格言でいう「利食い急ぐな、損急げ」ということなのでしょう。

 さらにはコフナーの基本原則③であるリスク管理が、ジョーンズにおいても成功の根幹をなしているようです。彼はトレードの際に、どれだけ儲かるかでなく、どれだけ損する可能性があるのかだけを考えており、想定通りにならなければ、儲かっていても手仕舞います。そして損失が続けばポジションのサイズを小さくし、利益が続けばサイズを大きくし、例えば重要な経済指標の発表時など、コントロールできないような場面であればポジションを取らないそうです。
 

◆ブラックマンデーで財を成す


 こうした彼の投資哲学がもっとも効果を発揮したのは、1987年のブラックマンデーでした。10月19日の月曜日に米株式市場が大暴落に見舞われ、ニューヨーク・ダウ工業株は1日で22.6%も値下がりします。その要因については様々な指摘がなされていますが、株価上昇による収益を多少犠牲にしても、株価下落による損失を抑えるポートフォリオ・インシュアランスが大きく響いたと見られています。ポートフォリオ・インシュアランスの詳細や当時の様子に関しては以下をご参照下さい。

▼1987年 ブラックマンデー(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【2】
https://fu.minkabu.jp/column/603

▼1987年 ブラックマンデー(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【2】
https://fu.minkabu.jp/column/613

 このポートフォリオ・インシュアランスが主な原因となって株価が大きく値下がりすることは、以前から想定されていたようですが、それがいつ起きるのか、誰にもわかりませんでした。チューダー・インベストメントでも、こうした現象が起きることを1986年の半ばから予想しており、同社リサーチ担当役員のピーター・ボリッシュが開発した1929年のアナログチャートモデルによると1988年の春ごろと推定されていました。(敬称略、後編につづく)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。