◆あまり知られていなかった創設者の経歴
前回は伝説の商品ヘッジファンド、コモディティーズ・コーポレーションを取り上げました。今回はこのコモディティーズに在籍していたブルース・スタンリー・コフナー(通称ブルース・コフナー)によって、1983年に創設された老舗マクロ系ヘッジファンドのキャクストン・アソシエイツを紹介します。
第2回で取り上げたタイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソンは、クォンタム・ファンドのジョージ・ソロス、スタインハルト・パートナーズLPのマイケル・スタインハルトと並んで、1990年代におけるヘッジファンド業界の「ビッグ3」と称されるほどの人物でした。
加えてこの時代は、コフナーのほか、チューダー・インベストメント・コーポレーションを率いたポール・チューダー・ジョーンズ、ムーア・キャピタル・マネジメントを率いたルイス・ベーコンの3人が「ジュニア3」と呼ばれていました。
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/945
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/955
コフナーは、同じコモディティーズ・コーポレーション出身であるジャック・D・シュワーガーの名著『Market wizards(邦題:マーケットの魔術師)』で紹介されるまで、いかなるインタビューにも頑なに応じなかったため、その経歴はあまり知られていません。コフナーは1945年、ニューヨーク州のロシア系ユダヤ人家庭に生まれました。1953年にロサンゼルスへ移り、地元のヴァンナイズ高校に入学。生徒会長を務め、1962年からハーバード大学に通います。その後、ハーバード・ケネディ校で1970年まで政治経済の研究を続けましたが、博士号を取得しないまま退学。ピアニストやタクシー運転手、あるいは政策コンサルタントなどの職を転々とした後、1970年代の半ばに金融に興味を持ちます。そして、彼は自身の経済と政治の知識がトレードに最適だと気づいたようです。
およそ1年間にわたり債券のイールドカーブ(利回り曲線)を徹底的に研究。金利先物の限月間取引(カレンダー・スプレッド・トレード)などを始めました。イールドカーブとは、債券の利回りと償還までの期間との関係を示した曲線のことを指します。一般的に債券は償還までの期間が短い短期債の利回りは低く、償還までの期間が長い長期債の利回りは高くなりますので、横軸に期間、縦軸に利回りといったグラフでは右肩上がりの曲線を描きます。金利先物市場でも、期近物は期先物よりも利回りは低く(価格が高く)なりますが、もしも期近物と期先物の価格が同じであれば期近買い・期先売りの裁定機会が発生します。
このカレンダー・スプレッドを大豆市場でトレードしていた1977年に、品不足で大豆価格が急騰。その後は順調にスプレッドも縮小していましたが、ブローカーに説得されて期先の売りポジションだけを手仕舞った途端に価格が急落。評価益が一瞬にして半減してしまったため、期近の買いポジションも手仕舞うことになってしまいました。この軽率なトレードにより、コフナーはしばらく食事も喉を通らなかったほどの精神的なダメージを被り、リスク管理の重大さを学んだようです。
その後、コモディティーズ・コーポレーションのアシスタント・トレーダーの募集に応募しますが、政治や経済、あるいは金融に対する豊富な知識が評価されてアシスタントではなく、正規のトレーダーとして採用されます。同社ではマイケル・フィリップス・マーカスの下で修業しました。ファンダメンタルズとテクニカルを融合させたマーカスの手法を学び、コフナーはテクニカル分析も用いるようになります。彼によると、テクニカル分析は将来を予測するものではなく、過去を振り返る温度計のようなものであり、テクニカル分析をせずにトレードするのは、医者が体温を測らずに患者を診るに等しい、といっています。また、コフナーは後にタンカーを所有し、物流を通じて世界経済や商品需給を測る温度計としても活用していたそうです。
◆キャクストン創設
コフナーは為替市場でキャリートレードを中心に大きく稼ぐようになると、コモディティーズ・コーポレーションから独立。1983年にキャクストン・アソシエイツを設立しました。このキャクストンという社名は、コフナーの稀覯本収集という趣味に由来しており、15世紀にイングランド人として初めて印刷機を導入し、本を出版したウィリアム・キャクストンに因んだものだといいます。キャクストンは数多くの英語の本を出版しており、出版を通して英語の標準化(方言の均質化)に貢献したと考えられています。
コフナーのヘッジファンド、キャクストンの投資アプローチ手法は、各国の金融政策や財政政策に基づく経済見通しや政治的な情勢を踏まえ、大局的(マクロ)な視点から株式や債券、為替、商品などに投資するトップダウンであり、典型的なマクロ系ヘッジファンドといえるでしょう。また、コフナーが投資を始めて間もない頃に評価益を一瞬にして半分にしてしまったトレード経験などから、リスク管理を徹底しています。運用者や運用チームごとにトレーディングセンターを設けてリスク分散を行うほか、全体を通して投資資産の相関性やリスクが偏らないようにコフナーが毎日コントロールを行いました。
このマクロという投資戦略は、中央銀行の積極的な政策変更や政策失敗などからマーケットが不安定になるタイミングにおいて威力を発揮します。そのためキャクストンでは、マーケット環境に応じてポートフォリオ全体に占めるマクロ戦略の割合を調整し、ロング・ショートやプライベート・エクイティなど、その他の戦略も混ぜるようにしています。もっとも、キャクストンの運用資産が増えるにつれ、コフナーはトレードより、資産配分も含めたリスク管理業務に多くの時間を割く、ポートフォリオ・マネージメントに軸足を置くようになりました。
そして、キャクストンは1995年に運用資産の3分の2を投資家に戻すなど、折に触れて繰り返し運用資産を返還しています。投資対象とする各金融資産の市場規模や流動性は資産ごとに異なるほか、経済状況や制度変更などによっても変化します。こうした市場規模や流動性において、キャクストンの運用スタイルに見合った運用資産のサイズがあり、あまりに運用資産が大きすぎると、パフォーマンスの劣化につながると考えているようです。
ただ、コフナーは2008年に日常の投資業務から離れ、2011年には最高経営責任者(CEO)の座を、後進の最高投資責任者(CIO)であるアンドリュー・エリック・ローに譲ってしまいました。確かに2007年のサブプライム問題などからヘッジファンドに対するリスクが懸念され、同社を巡っても一時は破綻が近いとの噂が広がります。そのため、大きな問題は起きていないと説明する公開書簡を出すなど、異例の事態もありました。しかし、それまでのキャクストンが年間を通じて損失を出したのは1994年だけなのです。一体何があったのでしょうか。(敬称略、後編につづく)