◆創業時の逸話
今回は伝説の商品ヘッジファンド、コモディティーズ・コーポレーションを取り上げます。同社は1980~90年代にかけて、その手法が確立された投資スタイルである「マクロ」の先駆者といえるでしょう。同社の共同設立者であるF・ヘルムート・ワイマールは1936年、米ニューヨーク市のドイツ人の家庭に生まれました。彼はマサチューセッツ工科大学で経営学を学び、同校でカカオ豆価格の歴史に関する論文を書いて博士号を取得。1964年に卒業しました。幼馴染であるエイモス・ホステッター・ジュニアの父親、エイモス・ホステッター・シニア(1902–1977)が米大手証券会社ヘイデン・ストーン・アンド・カンパニー(※)で有名な商品トレーダーであったことに影響され、学生時代から商品先物取引に手を出し、一時は全財産を失ったこともあったようです。(※同社は幾度となく合併を繰り返して1988年にシェアソン・リーマン・ハットンとなった後、モルガン・スタンレーとリーマン・ブラザーズに分かれました)
また、ワイマールは大学院在学中から、クッキーのオレオやクラッカーのリッツでお馴染みの米菓子メーカー、ナビスコで働いていました。ちなみにナビスコという社名は、ナショナル・ビスケット・カンパニーの略称でしたが、1971年に同社の正式名称となっています。ワイマールは博士論文の題材にもなったカカオ豆の需給に基づく価格モデルに従った取引を同社に推奨。理論価格より安くなったら買い、高くなったら買うのを止めるといった逆張りスタイルで投資したため、価格低下に伴って2年分のチョコレートが製造できるほどのカカオ豆を買い込んでしまうことになります。万事休すと思われたその時、不作によってカカオ豆の価格が急騰。多額の利益を得て難を逃れます。
しかし、これに懲りるどころか、すっかり自信を持ったワイマールは、ナビスコを含む投資家から250万ドルの資本金を調達し、1969年にコモディティーズ・コーポレーションを立ち上げました。創設時のメンバーには既にトレーダーを引退していたホステッターに加えて、ワイマールの博士論文を指導したノーベル賞経済学者のポール・アンソニー・サミュエルソン(1915–2009)、マサチューセッツ工科大学の計量経済学教授にしてサミュエルソンの同僚であるポール・クートナー、またナビスコ時代の同僚であり、プリンストン大学で博士号を取得した小麦の専門家であるフランク・ヴァナーソンなど、各商品の専門家が集いました。
◆自らの理論に抗う学者
同社ではファンダメンタルズ分析を重んじ、計量経済学に基づいて膨大なデータを用いて構築した価格予測モデルによって理論価格を割り出し、市場価格との乖離を取りに行きます。同社には後にアメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月面着陸を目指したアポロ計画に関わったプログラマーなど、ロケット・サイエンティストも加わったほか、博士号取得者を積極的に採用するなど、非常にアカデミックな会社でした。また、データ解析をバリュエーション評価や市場価格の変動予測などに用いるクオンツ投資、あるいは商品に限らず株式や債券の先物をトレードするCTA(Commodity Trading Advisor、商品投資顧問業者)の走りでもあったといえます。
クオンツを得意とするヘッジファンドは、第22回で取り上げたデービッド・ショーが率いるD.E.ショー・アンド・カンパニー、第23回で取り上げたデビッド・シーゲルとジョン・オーバーデックが率いるツーシグマ、第24回で取り上げたジム・シモンズが率いるルネサンス・テクノロジーズ、そして第38回で取り上げたクリフ・アスネスらが率いるAQRキャピタル・マネジメントなど、過去にいくつか紹介していますので、ご参照ください。
▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1343
▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1344
▼第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【23】
https://fu.minkabu.jp/column/1351
▼第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【23】
https://fu.minkabu.jp/column/1369
▼ルネサンス・テクノロジーズのジム・シモンズ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【24】
https://fu.minkabu.jp/column/1380
▼ルネサンス・テクノロジーズのジム・シモンズ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【24】
https://fu.minkabu.jp/column/1389
▼クリフ・アスネスのAQRキャピタル(前編)―デリバティブを奏でる男たち【38】
https://fu.minkabu.jp/column/1638
▼クリフ・アスネスのAQRキャピタル(後編)―デリバティブを奏でる男たち【38】
https://fu.minkabu.jp/column/1650
もっとも経済学者であるサミュエルソンは当時、効率的市場仮説を唱えていました。この仮説は、市場が全ての情報を瞬時に織り込むため、市場価格は常に公正な水準を示している、とする考え方です。この仮説に従えば市場を出し抜いて儲けることなど、ほとんどできないはずです。また、彼の同僚であるクートナーはランダムウォーク理論を研究していました。この理論は市場の値動きは予測不可能で、決まった法則性はないとするものです。これらの仮説や理論に従えば、コモディティーズ・コーポレーションのような会社のビジネス・モデルが存続する、などということはあり得ないわけですが、にもかかわらず自身の研究に抗うかのように彼らは同社の創業に加わったのです。
◆窮すれば転ず
ところが、同社は設立の数年目にして危機的な状況に瀕します。このときトウモロコシの葉枯れ病が米国で蔓延してトウモロコシ価格が急騰していたのですが、調査の結果、葉枯れ病に対する恐怖は過剰であり、価格は上昇し過ぎていると判断して売り向かったのです。しかし、テレビで葉枯れ病に対し悲観的な見方をする特集番組が放送されて更に価格が急騰。同社は高値で買い戻しを余儀なくされました。この失敗で資本の64%を吹き飛ばしてしまい、破綻寸前にまで追い込まれます。
そこで、ワイマールは社内で一番リスクを取りたがる自分への戒めも兼ねてリスク管理システムを見直したほか、ヴァナーソンが開発した価格トレンド追随モデルを重用するようになります。このモデルは価格が上がれば「上昇は継続する」と判断して買い、下がれば「下落が継続する」と判断して売る、といった典型的なトレンド・フォロー型の簡単な手法を採用しており、テクニカル分析が重視された商品市場では珍しいものではありませんでした。しかし、ヴァナーソンは売買プログラムを作成し、システムトレード化したのです。そこにはリスク管理プログラムまでも添えられていました。
もちろん、前述の効率的市場仮説やランダムウォーク理論に基づけば、将来の価格の推移はランダムであり、トレンドなど存在しないと考えられていたため、ワイマールもサミュエルソンも同モデルに懐疑的でしたが、コンスタントに利益を生むこのモデルを認めざるを得なかったようです。加えて、同社が初めて採用した博士号を取得していない、経済学も学んでいないトレーダーのマイケル・マーカスが、目覚ましい運用成績を叩き出すようになります。それは一体どのような手法だったのでしょうか。(敬称略、後編につづく)