デリバティブを奏でる男たち【80】 セガンティのサイモン・サドラー(前編)

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 今回は香港に本社を置くヘッジファンド運営会社、セガンティ・キャピタル・マネジメントを創設したサイモン・サドラー(Simon Sadler)を取り上げます。マルチストラテジー戦略を展開するセガンティは、運用していたヘッジファンドを2024年5月末で閉鎖すると発表し、話題になりました。

 閉鎖の理由は、ソブリン・ウェルネス(政府系)ファンドや世界的な年金基金、銀行の資産運用部門などといった顧客の大規模な資金流出によるものとみられます。セガンティは2021年のピーク時には62億ドルを運用していたのですが、2024年3月末には48億ドルに減少し、今回はそのうち10億ドル以上の解約に見舞われたようでした。その背景としては、運用成績の悪化に加えて、香港金融当局からインサイダー取引容疑で起訴されたことも挙げられるでしょう。

 

◆セガンティの創設

 

 1969年に英国イングランド北部のランカシャーで生まれたサドラーは、地元のマンチェスター大学理工学研究所(後にビクトリア大学と併合してマンチェスター大学となりました)でビジネスサイエンスを学びました。大学を卒業した後は、ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン(ドレスナー銀行の投資銀行部門、ドレスナーはアリアンツとの併合を経てコメルツ銀行が買収)やドイツ銀行といった金融機関のロンドン支社やモスクワ支社などでトレーダーの業務を行ったのが金融キャリアの始まりです。その後、香港のHSBC(香港上海銀行:HSBCホールディングス傘下の銀行)でアジア株取引の責任者を務めました。

 2007年末にサドラーは、香港で2650万ドルを集めてセガンティを立ち上げます。この社名は、英国が古代ローマ人によって支配される以前、彼の生まれ故郷のランカシャー周辺に住んでいたブリガンテス(古代ブリトン人)の亜族、セガンティ(セタンティともいう)に由来しているようです。

 創設当初は主に香港、中国、韓国、台湾、インドといったアジア市場において、流動性の高い株式などに投資しており、中国のソーシャルメディア大手、テンセント・ホールディングス(騰訊控股)の筆頭株主であるオランダの投資会社プロサスや、その親会社である南アフリカのメディア大手ナスパースに投資するといったぐあいでした。最近はリラティブ・バリュー(相対価値)とイベント・ドリブンの2つの戦略を中心にトレードを行っていました。これらを含めたヘッジファンドの戦略につきましては以下で簡単にまとめてありますので、ご参照ください。

▼ミレニアムのイジー・イングランダー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【25】―
https://fu.minkabu.jp/column/1402

 

◆ブロック・トレードの帝王

 

 また、セガンティではブロック・トレードに力を入れていました。これは投資銀行や証券会社が、大量の株式の取得や処分をしたいとき、取引所の外で個別に価格などを交渉する取引です。この取引において、欧米とは異なる市場慣行が存在するアジアに根ざした24時間体制のオペレーションを実施しました。それが奏功し、アジア株が大量に処分される際、まずはセガンティに声が掛かるようになります。

 プライム・ブローカーなどが抱える、流動性が少なくて処分し難い株式を個別に引き受けることによって、セガンティは様々な見返りを得ました。例えばIPO(新規公開)銘柄の売り出しを優先的に配分してもらったり、ブロック・トレードの際の買い付け手数料を割引いてもらったり、引き受けの際の資金調達などにも積極的に協力してもらい、自己資金に対して5倍以上のレバレッジを掛けることもできたようです。

 こうした見返りによって更に大きな、あるいは流動性の少ないブロック・トレードの引き受けが可能になり、遂にサドラーはアジアにおける「ブロック・トレードの帝王」などと二つ名が付くようになりました。

 

◆成績悪化が縁の切れ目

 

 このようなサドラーについて、ある報道によると、彼と交流があった元同僚や銀行員たちは彼の性格を「厳しく、短気で、口が悪い」などと評しており、社内で「成功以外は許されない」という厳しい企業文化が醸成されていったようです。こうした文化はドレスナーやドイツ銀行のトレーダー時代に培った部下の管理手法だそうですが、ミスや失敗に対して激しく叱責することもしばしばだった、といわれています。このような緊張感の高い職場を和ませる存在が、創設して3年目にクレディ・スイス(UBSグループが買収)から招聘したカート・ハーケン・エルソイ最高経営責任者(CEO)だったと考えられています。

 エルソイはクレディ・スイスのロンドンと香港支店で17年間勤務し、株式部門でさまざまな事業を管理したほか、株式デリバティブ、転換社債、プライム・サービス・マーケティングの責任者としてマネージング・ディレクターを務めていました。彼の冷静な態度と滑らかな話し方は、サドラーのムチを和らげるアメとして機能していた、と見られます。しかし、同社の運用成績が悪化した翌年の2014年には、最高執行責任者(COO)を含む6人の従業員がまとまって辞任するなど、調和が乱れる事態にも見舞われました。

 セガンティは創設以来、運用成績が悪化したのは、上で触れた2013年と直近だけだそうです。ということは、安定的に収益を叩き出してきた驚異的なヘッジファンドといえるでしょう。ところが、成績悪化が縁の切れ目らしく、前回の悪化時には従業員がまとまってセガンティから離れ、今回は顧客がまとまってセガンティから離れていったようです。また、運用成績の悪化を挽回すべく、無理が祟ったのか、冒頭で紹介したインサイダー取引容疑につながった可能性が考えられます。この点については後編で詳しくみていきましょう。(敬称略、後編につづく)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。