デリバティブを奏でる男たち【88】 オズの魔法使いと呼ばれたカーコスワルドのコフィー(前編)

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 前回はクオンツ界の大御所である英アスペクト・キャピタルを取り上げ、2024年8月の相場急変時にはポジションの一時縮小を余儀なくされたことに触れました。クオンツに関しては第87回前編をご参照ください。

▼英クオンツ界の大御所、アスペクト・キャピタル(前編)―デリバティブを奏でる男たち【87】―
https://fu.minkabu.jp/column/2466

 米連邦準備制度理事会(FRB)がインフレ退治に執心するあまり利下げのタイミングが遅れたとの見方が強まったことから、それを催促するように為替市場ではドル安圧力が強まっていました。そこに7月31日に日本銀行が予想外のタイミングで利上げを決定。加えて、8月2日に発表された7月の米雇用統計で失業率が悪化し、米国の景気後退(リセッション)懸念が強まります。このときに注目されたのがサーム・ルールでした。このルールでは、米失業率の3カ月平均値が、過去12カ月間の最低値よりも0.5ポイント以上上がると、リセッションの始まりとします。1960年以降に米国で起きた全てのリセッションを正確に言い当ててきた経験則ですが、7月の雇用統計はこれに抵触したのです。

 これらにより急激に円高とドル安の圧力が高まり、日本株は急落に見舞われ、世界の金融市場は一時的に強いリスク回避の地合いとなりました。

 この数カ月前から日本の財務省・日本銀行が円買い介入を繰り返すほど、日本政府は円安の影響を懸念していましたので、円高は日本政府が望むところでした。しかし、それはあくまで日本国民の財布を気にしてのことでした。輸出関連企業を中心に日本の上場企業の利益が円安によって過去最高を更新し続けていたことを考えると、円高で日本株が売られたのは無理もないことでしょう。しかし、極端に大きく売られたことで、他の市場にも強いリスク回避の地合いが波及しました。

 こうした地合いでは価格が大きく動く、つまりボラティリティ(予想変動率)が高まることでクオンツ・ファンドや商品投資顧問業者(CTA)などのトレード・プログラムが上手く機能せず、大きな損失に繋がることがあります。それゆえアスペクト・キャピタルはポジションを一時縮小したとみられますが、このような激しい相場環境になると、反対に大きく稼ぐファンドも出てきます。

 今回取り上げる豪カーコスワルド・キャピタル・パートナーズもその一つでした。この混乱の最中で、80億ドルを運用するカーコスワルドは数億ドルの利益を稼いだと報じられています。
 

◆創設者コフィーの来歴


 カーコスワルドを2018年に創設したグレゴリー・ジョン・コフィー(Gregory John Coffey、通称グレッグ・コフィー)は1971年、オーストラリアのシドニーで生まれました。マッコーリー大学で経済学士を取得し、1993年にオーストラリア最大の投資銀行であるマッコーリー銀行に入行します。翌年には米大手投資銀行のバンカーズ・トラストで新興市場株式のデリバティブ取引に従事しました。バンカーズ・トラストは1999年にドイツ最大の銀行であるドイツ銀行<DB>に買収されます。

 この間、コフィーは着実に実力を付けていき、2000年からジョージ・ソロスが率いるブルーボーダー・パートナーズでファンド・マネージャーを務めました。その後、イタリア系の大手金融機関ウニクレディトの傘下でオーストリア最大の金融機関であるオーストリア銀行に在籍し、グローバル株式部門で自己勘定取引業務を統括します。2003年からGLGパートナーズのマネージング・ディレクター兼ポートフォリオ・マネージャーとして、新興国市場とマクロ・ビジネスを管理し、70億ドルを運用していました。GLGは2010年に第37回で取り上げた世界最大の上場ヘッジファンド、英マン・グループが買収し、現在はマンGLGとなっています。

▼ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【37】―
https://fu.minkabu.jp/column/1615

 

◆オズの魔法使い


 ここでコフィーは華々しい成績を残しました。彼は新興市場ファンドの価値を2006年には60%、2007年には51%増加させ、その驚異的な成果から彼は「オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz)」と呼ばれました。このニックネームの語源は、彼の出身国であるオーストラリアのことをオージー(Aussie、OZと表記されることもあります)と呼ぶことに由来していると考えられます。

 コフィーには魔法使いのような少し変わった振る舞いが確認されており、例えば自分が机に居ようが居まいが毎日決まった時間に珈琲を届けさせていました。これは彼が相当に几帳面な性格であることが伺われる逸話といえるでしょう。また、決して癇癪を起こすことがないことも挙げられています。運用している資金額にもよりますが、トレーディングはわずかな判断ミスがきっかけとなり、サラリーマンが一生をかけて稼ぐような大金を瞬時に失うことが頻繁に起こり得ます。このような精神的に追い詰められる厳しいトレーディング・ルーム内で、トレーダーが癇癪を起こすなどということは日常茶飯事であり、大声で喚くとか、物が飛び交うことも決して珍しいことではありません。むしろ冷静であり続けることは困難を極めます。そんなコフィーですが、几帳面な性格ゆえに整然と並べていたウォッカの小瓶を清掃員が乱したと言って激怒したことがあったそうです。

 GLG 在籍中に驚異的な成果をあげたコフィーは、2007年に1.7億ポンドの収入を得たと推定されています。ところが、彼の魔法が使えなくなってしまう事態が起きました。コフィーの運用成績が大きく悪化してマイナスになってしまい、成績の悪さを嫌気した顧客の解約もあって運用資産が極端に減少していきます。一体、なにが起きたのでしょうか。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。