今回は英大手投資運用会社であったマーキュリー・アセット・マネジメント、およびマーキュリーの親会社だった投資銀行S. G.ウォーバーグを取り上げています。
ジークムント・ジョージ・ウォーバーグ卿(Sir Siegmund George Warburg、1902-1982)とヘンリー・グリュンフェルド(Henry Grunfeld、1904-1999)によって創設されたS.G.ウォーバーグは、1969年にウォーバーグ・インベストメント・マネジメントを設立しました。当時、創設ディレクターであったレナード・サムエル・リヒト(Leonard Samuel Licht)が、ファンドマネージャーとして顧客に巨額の利益をもたらしたことは有名です。ウォーバーグ・インベストメント・マネジメントは1987年に社名をマーキュリー・アセット・マネジメントに改め、ロンドン証券取引所への上場を果たします。
◆マーキュリーからMLIMへ
1979年から1992年までマーキュリーの会長を務めていたピーター・ストーマンス・ダーリング(Peter Stormonth Darling、1932 - 2019)は、同社を英シティ最大の投資運用会社に育て上げました。しかし、親会社であるS.G.ウォーバーグの創業者、ウォーバーグ卿は同社を売却するよう指示してこの世を去ります。彼は投資運用業務を株式ブローカー業務より、わずかにましな二流の活動とみなしていました。しかし、同社が上場した際、良い価格で取引されたことから、ダーリングは同事業を売却しないと決断したそうです。
1995年にS.G.ウォーバーグはスイス銀行に買収され、スイス銀行(1998年にユニオン・バンク・オブ・スイスと合併しUBSグループ<UBS>に)の投資銀行部門と合併してSBCウォーバーグとなりました。その際に買収対象とならなかったマーキュリーは切り離されて独立し、同様に買収対象とならなかった他の部門が全てマーキュリーの子会社になります。
ダーリングの後を継いでマーキュリーの会長となったヒュー・アレクサンダー・スティーブンソン卿(Sir Hugh Alexander Stevenson)は、ウォーバーグ卿の遺志を継いでマーキュリーの身売りを主導しました。1997年にマーキュリーは米投資銀行のメリルリンチ(2008年にバンク・オブ・アメリカ<BAC>が救済合併)に買収され、メリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ(MLIM)に社名を変えます。
スティーブンソン卿は、マーキュリーの副会長だったスティーブン・アンソニー・ジマーマン(Stephen Anthony Zimmerman)と同役員だったキャロル・ギャレー(Carol Galley)とともにMLIMの共同責任者となりますが、1998年には退職して英再保険会社エクイタスの会長に就任しました。エクイタスは英保険シンジケート、ロイズの無限責任を負う個人メンバーが支払いに見舞われた保険の受け皿として設立された会社です。保険金支払いの問題解決には2035年までかかると予想されていましたが、2007年にはウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハサウェイ<BRK.B>の子会社であるナショナル・インデムニティ・カンパニーが、そのすべての資産と負債を引き継ぐことになりました。
ジマーマンは2001年にMLIMを退社します。そして、MLIMの同僚であったマイケル・ジョン・ポール・マークス(Michael John Paul Marks)やポール・ロイ(Paul Roy)らとともに、投資会社ニュースミス・キャピタル・パートナーズを創設しました。同社は2015年に第37回で取り上げた世界最大の上場ヘッジファンド、英マン・グループに買収されます
▼ヘッジファンド業界の総合商社、マン・グループ(前編)―デリバティブを奏でる男たち【37】
https://fu.minkabu.jp/column/1615
◆金融界で活躍する元マーキュリー関係者
1980年代から1990年代半ばにかけて隆盛を極めたマーキュリーは、数十億ポンドの年金基金の資金を管理する契約を次々と獲得し、その投資実績を証明しました。最盛期には英国の主要株価指数であるFTSE 100採用企業の半数以上が、投資管理目的でマーキュリーを利用していたといわれています。
この当時に同社で働いていたポール・ロデリック・クルーカス・マーシャル卿(Sir Paul Roderick Clucas Marshall)が、S.G.ウォーバーグで史上最年少の取締役に就任した経歴を持つイアン・ジェラルド・パトリック・ウェイス(Ian Gerald Patrick Wace)とともに、マーシャル・ウェイス・アセット・マネジメントを創設したのは第90回で触れた通りです。
また、第91回で取り上げたランズダウン・パートナーズにおいて、先進国株式ファンドを同社のフラッグ・シップにまで育て上げたピーター・グラハム・デイビス(Peter Graham Davies)とスチュアート・グラント・ローデン(Stuart Grant Roden)も、同じ頃にマーキュリーで働いていました。このほかにも多くのマーキュリー関係者が、その後の金融業界で活躍しています。
▼ゴールド・スタンダードだったランズダウン(前編)—デリバティブを奏でる男たち【91】
https://fu.minkabu.jp/column/2530
MLIM は2006年に、第12回で取り上げたローレンス・ダグラス・フィンク(Laurence Douglas Fink、通称ラリー・フィンク)率いる資産運用会社、ブラックロック<BLK>に買収されています。そのブラックロックの事業は2015年までジェームズ・ニコラス・チャーリントン(James Nicholas Charrington)が率いていたともいわれています。彼はブラックロックでヨーロッパ、中東およびアフリカ(EMEA)の責任者、グローバル・エグゼクティブ・コミッティやグローバル・オペレーティング・コミッティのメンバーなど、ブラックロックのサービス部門で数々の上級管理職を歴任しました。彼も1993年にマーキュリーに入社したひとりです。
▼ブラックロックのラリー・フィンク(前編)―デリバティブを奏でる男たち【12】―
https://fu.minkabu.jp/column/1145
また、マーキュリー出身のデイム・アン・ヘレン・リチャーズ(Dame Anne Helen Richards)は、2002年にエディンバラ・ファンド・マネージャーズに転職し、その後スコットランドの投資会社アバディーン・アセット・マネジメントで最高投資責任者(CIO)を務めました。2016年にM&GインベストメンツのCEO(最高経営責任者)、2018年にはフィデリティ・インターナショナルのCEOに就任し、2023年からはフィデリティの副会長に就任しています。
1989年にマーキュリーで働き始めたアンドレアス・エルンスト・フェルデナント・ウーターマン(Andreas Ernst Ferdinand Utermann)は、2002年にMLIMを離れてアリアンツ・グローバル・インベスターズで株式担当のグローバルCIOを務めます。その2年後に1993年からマーキュリーで働いていたデイム・エリザベス・ポーリン・ルーシー・コーリー(Dame Elizabeth Pauline Lucy Corley)が続き、2人は2012年から2016年まで、それぞれグローバルCIOとCEOとしてアリアンツの共同責任者を務めました。
このように多くのマーキュリー出身者が、英国を中心とする金融界で活躍しており、その根底にはS. G.ウォーバーグから派生したマーキュリーのDNAが、しっかりと受け継がれているようです。彼らの教えは次の金融界を担う人たちにも伝授されていくことでしょう。(敬称略)