第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【23】―

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◆クオンツ・ショック、割高はより割高に、割安はより割安に


 2007年8月に起きた「クオンツ・ショック」と言われる株式市場の激震は、一般にあまり知られていません。もしくは、ほぼ同じタイミングで起きた「パリバ・ショック」として記憶されているようです。「パリバ・ショック」は、BNPパリバ傘下のABS(Asset-Backed Securities、資産担保証券)に投資する3つのファンドが解約を凍結したことで金融市場に広がった信用不安を指します。

 この前月にS&Pグローバル<SPGI>やムーディーズ<MCO>といった格付け機関が、延滞率の増加を理由にサブプライム関連のRMBS(Residential Mortgage-Backed Securities、住宅ローン担保証券)の格付けを大幅に引き下げたことにより、信用収縮が起きてベア・スターンズ傘下のファンドの破綻や「パリバ・ショック」が誘発された、と言われています。

2007年の米ダウ工業株30種平均(ドル)
出所:Refinitiv

 一方で「クオンツ・ショック」は、主にクオンツ系のヘッジファンドが手掛けていたロング・ショート戦略やマーケット・ニュートラル戦略が、激しい「また裂き状態(割高と判断して売った銘柄が値上がりし、割安と判断して買った銘柄が値下がりする状態)」に陥って大混乱となった事態を指します。

 マサチューセッツ工科大学(MIT)のアンドリュー・ロー教授の論文によると、当時のクオンツ系ヘッジファンドの多くは、似たようなマルチファクター・モデルによって割安銘柄と割高銘柄の選定を行っていたと言います。ファクター・モデルとは、株式などのリスク資産の投資収益(リターン)が、何らかの要因(ファクター)によってほとんど決まるという考え方です。

 そのファクターがひとつではなく、幾つかに分かれているモデルをマルチファクター・モデルといい、時価総額や株価純資産倍率(PBR)、モメンタム(過去一定期間のリターン)、自己資本利益率(ROE)、株価収益率(PER)、利益成長率などをファクターとして得られるリターンから理論価格を算出。時価との差から割安・割高を判断していたようです。

 ところが、こうした戦略を手掛けていたクオンツ系ヘッジファンドの1社が、まとまった解約や追証(マージン・コール)などによって、大量のポジションを一度に手仕舞う事態に追い込まれると、割安株は一段と割安に、割高株は一段と割高になってしまいます。その結果、似たような戦略を手掛けていた他のクオンツ系ヘッジファンドの評価損が膨らみ、ロスカット・ルールなどに抵触すると一気にポジションの解消が嵩んでしまった可能性が指摘されています。

 2007年に起きた「クオンツ・ショック」のきっかけは、いずれも2割以上の損失を被ったゴールドマン・サックス・グループ<GS>の旗艦ファンド「グローバル・アルファ」や「グローバル・エクイティ・オポチュニティーズ」などと見られています。しかし、こうした株式市場の激震はファクターレベルの話であり、株価指数は大きく動かなかったため、一般投資家が詳しく知るところではなかったようです。ただ、「パリバ・ショック」と相まって、株式市場はその後を追うように急落に見舞われました。
 

◆逆境に強いツーシグマの変化


 この年のツーシグマ・インベストメントは黒字を確保します。また、2008年は周知の通り「リーマン・ショック」により多くのファンドは運用成績が二桁のマイナスに落ち込みましたが、ツーシグマは一桁台後半のマイナスにとどまるなど、「逆境に強い」との印象を与えるファンドです。しかし2008年は、相対的にファンドの解約が相次ぎ、同社も全運用資産の3~4割の資金流出になったと言います。

2008年の米ダウ工業株30種平均(ドル)
出所:Refinitiv

 これを機会にツーシグマは資金調達先を見直し、裕福な個人やファミリーオフィス、ファンドオブファンズなどから、年金基金やソブリン・ウェルス・ファンド(公的資金を運用する政府系ファンド)などの機関投資家に重点を置くようになりました。そして、これらの顧客のニーズに沿うよう、これまで以上にリスクを抑え、長期運用を見据えた新しい戦略の設計と運用を始めます。
 加えて、関連事業も充実させていきました。2008年にはプライベート・エクイティ投資を始め、2012年には主にデータサイエンス、機械学習、分散コンピューティングなどの分野において初期段階の未公開企業に投資するツーシグマ・ベンチャーズを設立。後に中期段階の未公開企業に投資するサイトウェイ・キャピタルも立ち上げました。

 また、2009年には証券会社ツーシグマ・セキュリティーズを設立。第8回で取り上げたケン・グリフィン率いるシタデル傘下の証券会社シタデル・セキュリティーズと同様、市場に流動性を供給するマーケットメーカー業務や米国株のブローカー・ディーラー業務などを始めました。


▼シタデルのケン・グリフィン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【8】
https://fu.minkabu.jp/column/1074

▼シタデルのケン・グリフィン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【8】
https://fu.minkabu.jp/column/1084


 2013年からは保険業務に進出。ハミルトン再保険やアメリカン・インターナショナル・グループ<AIG>と提携し、ツーシグマは関連会社ツーシグマ・インシュアランス・クォンティファイドを通じて自動化システム、アルゴリズム、データ解析を活用したリスク管理業務を提供します。

 そのほか、活動場所も多角化し、2008年にロンドン事務所を開設、2012年に香港事務所を開設、2018年には東京事務所も開設しました。こうした事業分散や地域分散は創設者であるデビッド・シーゲルやジョン・オーバーデックが一時在籍していたD.E.ショー・アンド・カンパニーの足跡に似ており、非常に参考にしているものと考えられます。


▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1343

▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1344


 第22回で取りあげたD.E.ショーでは、「多くの金融機関やヘッジファンドなどが似たような儲かる投資スタイルに群がり、結局はどこかが破綻して痛手を被りました。同じようなことが起きないことを祈ります」と締めくくりましたが、ツーシグマはクオンツ・ショックから、他のクオンツ系ヘッジファンドと似た戦略は用いないことを教訓としているのでしょう。だとすると、逆境には強いものの、前編の冒頭で示した通り順境においてのツーシグマの稼ぎは「ほどほど」であるのかもしれません。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。