◆システムを構築しながら効率化
確度の高い様々なマーケットのアノマリー(理論的根拠のないマーケットの経験則)を狙い、小刻みな売買を繰り返すトレーディング・システムによってルネサンス・テクノロジーズは順調に利益を積み重ねていきます。また、どのアノマリーに、どれだけの資産を配分するのが最適なのかを常に把握し、そのつど資産配分を変化させるシステムも構築しました。
更にはスリッページと言われる問題にも取り組みました。スリッページとは、板を見て買いに行った成り行き注文において、本来成立すると思われた約定価格と実際の約定価格との差を指します。これは相場変動によるものなのか、トレーダーによる悪質行為なのか、様々な理由が考えられるわけですが、ルネサンスはスリッページによる機会損失をコンピューター・プログラムで算出して、注文を細かく分割したり、注文時間や注文市場を分けるなど、スリッページを縮小させるシステムも構築しました。
しかし、運用成績が良くなると資金が集まり始め、小さなマーケットにおいては「池の中のクジラ」になりつつありました。また、ルネサンスに注目して真似る、あるいは追随するトレーダーも次第に増え、非常に稼ぎにくくなってきました。これを受けて、ルネサンスはメダリオンの新規募集を従業員や元従業員に限定してしまいます。それでもシモンズは、ライバルのD.E.ショーを追い越すべく、より大規模な取引が可能である株式市場をターゲットに、新しいトレーディング・システムを開発し始めました。
◆IBMの音声認識研究チームが改良
第22回の「D.E.ショー」で紹介したペアトレードなど、統計的裁定取引を行う株式トレーディング・システムは元々ルネサンスでも開発していましたが、いまひとつ上手く機能していなかったようです。1993年にIBM<IBM>の音声認識研究チームで働いていたピーター・フィッツヒュー・ブラウン、ロバート・リロイ・マーサー、デビッド・ミッチェル・マガーマンらがルネサンスへ新しく加わり、この株式トレーディング・システムに改良を加えることになります。
▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1343
▼クオンツ投資の先駆者D.E.ショー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【22】
https://fu.minkabu.jp/column/1344
ところが、このシステムはレバレッジの上限を超えて注文を膨らませてしまうほか、それがために実行できない注文がひとつでもあると、裁定取引なのでバランスを失ってしまい、リスクを抑えてリターンを追及することができなくなってしまう、という致命的な問題を抱えていました。元IBMのチームは1995年にこうした問題を解決したほか、売買のシグナルを発見して検証するなど、自ら学習して調整もできる自動トレーディング・システムに変貌させます。
その後もシステムは幾度となく不具合に遭遇しますが、その都度ポジションを縮小させ、問題点を洗い出してはブラッシュアップを重ねていきました。もっとも、自ら学習する自動トレーディング・システムゆえ、なぜ不具合が生じたのかはもちろんのこと、なぜ利益が出るのかさえ、システムを構築した社員でも、はっきりとはよく分かりません。そのため、問題点の洗い出しは、なかなか困難な作業だったようです。
しかし、その甲斐あって1998年にノーベル経済学賞を受賞した学者らが運用するジョン・メリウェザーのヘッジファンド、LTCM(Long Term Capital Management)が破綻に追い込まれたときも、ライバルのD.E.ショーは巻き込まれて巨額の損失を被りましたが、ルネサンスのメダリオンは42%の運用収益を確保しています。
出所:Refinitiv
また、2000年にITバブルが崩壊した時には日々、巨額の評価損に見舞われたものの、シモンズはトレンド・フォロー型のトレーディング・システムを見限ってポジションを縮小。再び同システムが利益を積み上げ始めるとポジションを回復させ、この年の運用成績において99%という高い結果を叩き出しました。このときにシモンズは「システムを100%信用してはいけない」との教訓を得ます。
2007年のクオンツ・ショックの際も、シモンズは「システムを100%信用してはいけない」との教訓に従い、ポジションを落とし続けました。そして評価損が拡大しなくなると、再びポジションを取り始め、この年の運用成績は86%となりました。クオンツ・ショックに関しては、第23回で取り上げたツーシグマの(後編)をご参照ください。
▼第2世代のクオンツ・ファンド、ツーシグマ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【23】
https://fu.minkabu.jp/column/1369
◆バスケット・オプション
2001年にはドイツ銀行<DB>やバークレイズ<BCS>から提案されたバスケット・オプションを積極的に活用しました。バスケット・オプションとは、複数の株式からなる「バスケット」の運用成績に価格が連動する金融商品です。ただ、この「バスケット」の運用指図はルネサンスが行うという仕組みになっており、第1回で取り上げたビル・フアン率いるアルケゴス・キャピタル・マネジメントが利用したトータル・リターン・スワップと似た構造になっていました。トータル・リターン・スワップにつきましては以下をご参照ください。
▼アルケゴス・キャピタルのビル・フアン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【1】
https://fu.minkabu.jp/column/926
▼アルケゴス・キャピタルのビル・フアン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【1】
https://fu.minkabu.jp/column/932
このバスケット・オプションは、ルネサンスに二つの大きな利点をもたらします。ひとつはレバレッジです。このオプションを利用していない競争相手のレバレッジは7倍程度でしたが、ルネサンスは12.5倍、場合によっては20倍までレバレッジを高めることができたと言います。
そして、もうひとつは節税でした。ルネサンスのトレーディング・システムは短期売買のため、当時のキャピタルゲイン課税39.5%が適用されます。ところが、バスケット・オプションを1年後に権利行使することで長期売買として申告でき、キャピタルゲイン課税は20%まで下げることができました。もっとも、この点に関しては2014年に米国の国税庁に相当する内国歳入庁(The Internal Revenue Service、IRS)から脱法的とみなされて、2021年9月に最大70億ドルの税金と罰金を支払うことで和解しています。
◆外部資金向けファンドの問題
メダリオンの順調な運用成績のお陰でルネサンスの収益は盤石となりましたが、シモンズは新たな挑戦を始めました。それはルネサンス・インスティチューショナル・エクイティ・ファンド(RIEF)という新ファンドの設立です。「RIEF」はメダリオンに似たシステム・トレーディングですが、もう少しファンダメンタルズの要素を取り入れた割安株投資を運用スタイルとし、2005年から運用が始まりました。
その後も外部資金向けファンドとして、インスティチューショナル・ディバーシファイド・アルファ・ファンド(RIDA)やインスティチューショナル・ディバーシファイド・グローバル・エクイティーズ・ファンド(RIDGE)などを立ち上げます。しかし、これらはメダリオンの運用成績に匹敵するほどの高いパフォーマンスを、いつも叩き出しているわけではありません。
特に2020年の運用成績はメダリオンが76%であるのに対して、RIEFはマイナス19%、RIDAとRIDGEはマイナス31%と厳しい結果に見舞われました。これを受けて、ルネサンスは2022年1月までに150億ドル規模の資金流出となっています。過去の危機時に上手く切り抜けてきた創業者のシモンズは2009年に引退し、2021年には会長も辞任しました。彼の後を元IBMのチームのブラウンが担っていますが、「システムを100%信用してはいけない」との教訓を生かして、この難関を乗り切ることができるのでしょうか。ブラウンの手腕が注目されています。(敬称略)