ファラロン・キャピタルのトム・ステイヤー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【26】―

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◆比較的上位のランキングを維持するファラロン


 今回はLCHインベストメンツによるヘッジファンド収益ランキングにおいて、2018年と2019年に7位、2020年に11位、そして2021年8位と、このところ比較的上位のランキングを維持しているファラロン・キャピタル・マネジメントを取り上げます。ファロランは、前回に紹介したイジー・イングランダー率いるミレニアム・マネジメントや、第8回で取り上げたケン・グリフィン率いるシタデルに匹敵するほどの運用成績を誇るヘッジファンドです。


出所:各種報道


 2022年3月現在390億ドルを運用するファラロンは、トーマス・ファール・ステイヤー(通称トム・ステイヤー)が1986年に設立しました。2018年に金融庁が実施した金融審議会の資料によると、ファラロンは大学の基金、慈善財団、年金を含む機関投資家、及び富裕層のために資産を運用しています。

 また、サンフランシスコを本社として、ロンドン、シンガポール、香港、東京、サンパウロに拠点を有し、世界中で様々なアセットクラスに投資。その戦略はクレジット投資、上場株投資、合併裁定取引、不動産投資、直接投資の5つを主とする複数の投資を、機会に応じて実行するといいます。

 ファラロンを創設したトム・ステイヤーは、1957年にニューヨーク州マンハッタンで生まれました。ユダヤ人の父親はサリバン&クロムウェル法律事務所のパートナー、母親はキリスト教聖公会の信者です。彼はイェール大学で経済学と政治学を学び、優秀な成績で卒業しました。

 大学を卒業したステイヤーは1979年、米名門投資銀行モルガン・スタンレー<MS>に就職し、企業合併・買収部門で2年間働きました。その後はスタンフォード大学の経営大学院でMBA(経営学修士)を取得。米名門投資銀行ゴールドマン・サックス・グループ<GS>に転職し、1983年から1985年までリスクアービトラージ(上場企業間のM&Aに伴う裁定取引)のトレーダーとして働いています。当時の上司は、後に財務長官となるロバート・ルービンでした。
 

◆リスクアービトラージとは


 リスクアービトラージに関しては、第15回のサード・ポイントを率いるダニエル・ローブ(前編)で触れましたが、以下のような概念図を示しただけでしたので、ここで簡単に説明します。上場企業が買収される際、現金で買われる場合もありますが、買収する側(買収企業)も上場企業だと株式交換で行われる場合があります。このケースを示したのが、下の概念図です。

リスク・アービトラージの概念図

 3カ月後にA社(買収企業)がB社(被買収企業)を株式交換により吸収合併し、その際にB社1株に対してA社0.5株を割り当てる、とします。この株式交換の条件により3カ月後はA社1株とB社2株の価格が同じになるはずですから、もしもA社株の時価が2500円でB株の時価が1000円の場合、割高なA社1株を売って割安なB社2株を買えば500円(=2500円×1株-1000円×2株)の鞘(サヤ)が取れます。これをリスクアービトラージといいます。

 ただ、この計算では税金や売買手数料などのコストを除いていますが、裁定取引の場合は取れる鞘がわずかなので、なかなか侮れません。ほかにも空売り需要が増えて株券を調達するのが難しくなると、空売りを仕掛けるA社株に品貸料(いわゆる逆日歩)が発生するリスクもあります。

また、吸収合併がご破算になってしまうこともあり、その可能性が高まるとサヤはいつまでも縮まらないばかりか、広がっていく恐れもあります。一方で株式の交換条件が悪い、つまり買収価格が低すぎるような場合、より高い価格で他の買収企業が買収に名乗りを上げることも考えられます。その可能性が高まるとサヤは想定以上に縮まり、逆ザヤになることも期待されます。
 

◆ファラロンの立ち上げ


 ステイヤーはゴールドマンを退職した後、米プライベート・エクイティ会社ヘルマン・アンド・フリードマンのパートナー兼執行委員会のメンバーとなります。これはイェール大学時代のサッカーチームメイトであり、同社の元副会長で現在は相談役でもあるマシュー・バーガーの誘いによるものでした。ここでもステイヤーは合併裁定取引を中心に投資していましたが、間もなくヘルマン・アンド・フリードマンの共同設立者であるウォーレン・ヘルマンから支援を得て、1500万ドルを元手に投資会社ファラロンを設立します。

この社名はカルフォルニアの沖合に位置するファラロン諸島(国立野生生物保護区で一般には公開されていない)が由来となっているそうです。しかし、元々ファラロンという言葉は、スペイン語で「海面から突き出た岩島」などを意味するほか、南米のスペイン語圏では「頂上」を意味する言葉としても使われているようですので、こちらに由来すると考える方が腑に落ちるのではないでしょうか。

 ステイヤーの投資哲学は絶対リターンの追求ですが、これは単にお金を失わないように最善を尽くすということではなく、リスク調整後のリターンに焦点を当てることを意味しています。具体的には、全ての投資対象を債券として収益率を吟味するほか、比較的小さいレバレッジしか使用せず、損失リスクの回避に努めるとされています。

 こうした哲学のファンには、イェール大学の名物CIO(最高投資責任者)であるデイビッド・スウェンセンがいます。イェール大卒の彼は同校の大学基金を約35年で13億ドルから312億ドルに増やしたことで有名になりました。しかし、ヘッジファンドに対しては、手数料が高く、すぐに閉鎖してしまうので、相手にしない姿勢を示していたといわれます。それは先輩にあたるステイヤーのファラロンに対しても同様でした。

 しかし、ファンドを閉鎖しないこと、1%の管理手数料と20%の成功報酬をすぐに請求しないことを誓い、1987年にファラロンは何とかイェール大学の大学基金の一部を運用することができるようになります。そして、イェール大学の投資が上手くいくと、他の多くの大学基金や年金がヘッジファンドに投資し始めたといいます。

 またファラロンは、設立後しばらくリスクアービトラージを中心とする投資を続けていましたが、1989年以降は合併案件の減少により投資機会が減ってしまいます。そこで、経営が破綻した企業や破綻懸念のある企業の株式や債券などといった資産(ディストレス)投資の女性パイオニアである、メリディー・A・ムーアを雇います。これをきっかけにファラロンはディストレス投資に注力することになりますが、これは今でもファラロンの大きな特色となっています。

 彼女は2002年にウォーターシェッド・アセット・マネジメント(2015年に閉鎖)を設立するまでファラロンで約10年間働きました。現在ムーアは、第12回で取り上げたラリー・フィンク率いるブラックロック<BLK>傘下のブラックロック・キャピタル・インベストメントにおいて取締役を務めています。

▼ブラックロックのラリー・フィンク(前編)―デリバティブを奏でる男たち【12】
https://fu.minkabu.jp/column/1145

▼ブラックロックのラリー・フィンク(後編)―デリバティブを奏でる男たち【12】
https://fu.minkabu.jp/column/1147

 このような経緯のあるファラロンは、冒頭で示した通り現在も順調に稼いでいますが、その創設者であるステイヤーは2012年にファラロンの経営から身を引きました。自己の資産運用はファラロンに任せているらしいのですが、ファラロンの経営権は他の役員に売ってしまったようです。一体何があったのでしょうか。(敬称略、後編につづく

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。