キニコス(皮肉屋)のジム・チェイノス(前編)―デリバティブを奏でる男たち【42】―

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◆金融界の探偵


 前回は「ドゥーム・モンガー(破滅論者)」の異名をとる英国老舗ヘッジファンド、オデイ・アセット・マネジメントのクリスピン・オデイを取り上げました。今回は「金融界の探偵」を名乗るキニコス・アソシエイツ、改めチェイノス・アンド・カンパニーのジム・チェイノスを取り上げます。ショートセラー(空売り投資家)としても有名なチェイノスは、「自分はリアルタイムで詐欺を取り締まる金融界の探偵だ」といった自己紹介を好むようです。その一方で、彼は規制当局や警察を金融界の考古学者にたとえており、その理由は会社が破綻した後に、ようやくその会社の問題が何だったのかを教えてくれる存在だからだ、と言います。

 ジェームズ・スティーブン・チェイノス(通称ジム・チェイノス)は1957年、米ウィスコンシン州でドライクリーニング店のチェーンを経営していたギリシャとアイルランドの移民の家庭に生まれました。1980年にイェール大学で経済学と政治学の学士号を取得して卒業。その後にシカゴの証券会社ギルフォード証券でアナリストとして金融界のキャリアをスタートさせた彼は、1982年に千載一遇の空売りのチャンスを見つけます。

 ピアノメーカーから金融業へ多角化を図ったボールドウィン・ユナイテッド・コーポレーションという銘柄のキャッシュフローに問題があることに気づいたのです。彼が売り推奨レポートを書いた後、同社の株価は2倍になりましたが、翌年には経営破綻に追い込まれます。負債総額90億ドル超と当時としては史上最大級の破綻だったと言います。このときにギルフォード証券の顧客であったクォンタム・ファンドのジョージ・ソロスやスタインハルト・パートナーズLPのマイケル・スタインハルトなどは、この結果を受けて「二匹目のどじょう」を尋ねたそうです。この二人は1990年代におけるヘッジファンド業界の「ビッグ3」と称されていた存在です。
 

◆キニコス創設


 その後、チェイノスはギルフォードからドイツ最大のメガバンクであるドイツ銀行<DB>傘下のアトランティック・キャピタルに移籍しますが、彼のことが新聞記事に掲載され、アトランティックを解雇されてしまいました。その記事には彼が株価を押し下げるショートセラーのネットワークの中心として描かれていたそうです。もっとも、同記事で売り対象となった企業10社のうち9社が、その後に破綻したか、詐欺で起訴された、とチェイノスは後にコメントしています。
 
 解雇された後、チェイノスは27歳にして独立します。1600万ドルで空売り専門会社キニコス・アソシエイツを1985年に設立しました。キニコスとは元々ギリシャ語で「犬のような」という意味ですが、古代ギリシャ哲学の一派であるキニコス(犬儒)学派を意味する言葉でもあります。その哲学とは「自然に与えられたものだけで満足して生きること」を人生の目的とし、犬のような乞食生活を目指すことでした。その皮肉な態度から「キニコス」は「シニカル」という言葉の語源にもなっています。
 
 同社は徹底した調査でターゲットを見つけるボトムアップ・スタイルを採用していました。ある意味では、ウォーレン・バフェットの「ファンダメンタルズ+ロングステイ」戦略に似ており、探し出す企業が売り対象なのか、買い対象なのかの違いがあるだけのようです。また、ロングステイだけに反対売買は年に1回程度と、チェイノスは売り始めたらすぐには諦めません。それゆえボールドウィンのように大きく担がれることもあり、それに耐えねばならない難しさがあると言います。
 
 こうしたスタンスのチェイノスのファンドは、設立の翌年である1986年に35%、1987年には27%と高い運用成績を上げました。そして、90年代にはヘッジファンド業界の「ビッグ3」であったジュリアン・ロバートソン率いるタイガー・マネジメントの空売りポートフォリオも管理していたようです。ちなみに、ロバートソンにつきましては第2回で取り上げていますが、残念ながら2022年8月に逝去されました。
 
▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/945

▼タイガー・マネジメントのジュリアン・ロバートソン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【2】
https://fu.minkabu.jp/column/955

 前回に取り上げたオデイ・アセット・マネジメントのクリスピン・オデイもそうですが、ショートセラーの運用成績は浮き沈みが激しいものです。チェイノスは1990年代の終わりにインターネットサービス会社AOLの株をカラ売りして失敗。8ドルで売った株を80ドルで買い戻す羽目になりました。当時のことをチェイノスは「インターネットの世界がこれほど重要になるとは考えていなかった」と述懐しています。
 

◆エンロン・ショート


 このようなチェイノスを一躍有名にしたのが、米総合エネルギーIT企業大手エンロンへの空売りでした。エンロンは1996年から6年連続で、米ビジネス雑誌「フォーチュン」の「アメリカで最も革新的な企業」に選ばれましたが、その最後の年である2001年に大規模な不正会計が発覚して破綻しています。詳しくは、以下をご参照ください。

▼2001年 エンロン(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【6】
https://fu.minkabu.jp/column/678

▼2001年 エンロン(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【6】
https://fu.minkabu.jp/column/692

 チェイノスは2000年に複数のエネルギー供給会社が会計操作をしているとの新聞記事に興味を持ち、エンロンのほか、複数のエネルギー供給会社への空売りを始めます。この当時エンロンは盛んに買い推奨に挙げられ、株価も上がっていました。しかし、2001年の決算説明会で、エンロンの最高経営責任者(CEO)が情報開示の不備を問われて口ごもり、相手を罵ったことからCEOは何かを隠しているとチェイノスは見抜いたようです。その数カ月後にCEOは個人的な理由で辞任したため、大きな問題が起こっていることを確信。チェイノスは空売りを積み増し、大きな利益を得ました。(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。