デリバティブを奏でる男たち【58】 バリアズニー・アセットのドミトリー・バリアズニー(前編)

ブックマーク

◆運用環境の良さを物語る資産引き出し制約


 前回は米国を代表するCTA (Commodity Trading Advisor、商品投資顧問)の1つであり、グローバル・マクロ戦略も手掛けるグラハム・キャピタル・マネジメントの会長兼創設者、ケネス・グラハム・トロピンを取り上げました。

 今回は運用資産規模が同水準ながら、米国でマルチ・ストラテジーを展開するヘッジファンド、バリアズニー・アセット・マネジメントを創設したドミトリー・バリアズニーを紹介します。ちなみに、バリアズニー・アセットの運用資産規模は、2023年4月現在で195億ドルでした。

 また、同社は2023年6月に、顧客資産を2年間償還しない方針を打ち出したと報じられて話題になっています。こうした制約は9月から実施されるとのこと。もっとも、一部顧客は四半期ごとに25%ずつの運用資産引き出しが可能である一方、新規顧客は2024年4月から四半期ごとに8.3%しか引き出せないなど、詳細はそれぞれの契約次第といったところのようです。第25回で取り上げたイスラエル・アレクサンダー・イングランダーが率いるミレニアム・マネジメントや、第8回で取り上げたケネス・コーデレ・グリフィンが率いるシタデルなどでも資産の引き出し制約は実施されており、これらマルチ・ストラテジーを展開するヘッジファンドを中心に業界の潮流になっているようです。

▼ミレニアムのイジー・イングランダー(前編)―デリバティブを奏でる男たち【25】
https://fu.minkabu.jp/column/1402

▼ミレニアムのイジー・イングランダー(後編)―デリバティブを奏でる男たち【25】
https://fu.minkabu.jp/column/1403

▼シタデルのケン・グリフィン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【8】
https://fu.minkabu.jp/column/1074

▼シタデルのケン・グリフィン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【8】
https://fu.minkabu.jp/column/1084

 確かに運用する側は、このような制約を設けることによって運用手法の自由度を高められるだけでなく、運用環境が悪い時に資産の引き出しが集中することによって資産売却を余儀なくされて、ますます運用成績の悪化を招くといった事態を避けることが可能になります。とはいえ、そのような制約を設けても資金が集まる背景には、運用環境、運用成績がともに良好であることが挙げられるでしょう。
 

◆生い立ち


 バリアズニー・アセット・マネジメントを創設したドミトリー・バリアズニーは、ソ連がユダヤ人移住の制限を解除した後、ウクライナの首都キーウ(キエフ)から米国に移住してきました。彼の父親は教授で母親はエンジニアでしたが、英語が話せなかったためホテルで掃除や雑用をしていたといいます。彼も12歳から訪問販売を始めるなど、暮らし向きは厳しかったようです。しかし、10代から株式に興味を持って取引を始め、シカゴのロヨラ大学で金融の学士号を取得する傍ら、株式ブローカーの免許も取得。思いつく限りのヘッジファンドに片っ端から採用の申し込みを行いました。なかなか採用されませんでしたが、1994年にようやくショーンフェルド証券(現在のショーンフェルド・ストラテジック・アドバイザーズ)に就職することができました。

 そこでは、わずかな運用資金と毎日の昼食が支給される歩合のデイトレーダーとして働きますが、基本給がない挙句に最初の1年間は全く儲けられませんでした。それでも一緒に働いていた経験豊富な他のトレーダーたちから学び、次第に安定的な収益を確保できるようになります。バリアズニーはそれを元手に1999年、フォーリー&ラードナー法律事務所で証券およびM&A部門を担当していたスコット・シュローダーと、投資コンサルタントや企業幹部として働いていたテイラー・オマリーを迎え入れて社内にチームを作り上げました。トレードを中心に考えるのであれば、ほぼあり得ない人選と思われますが、将来に独立して会社を大きくすることを想定すれば、欠かせない人選といえるでしょう。そして、こうしたバリアズニーのチーム編成能力が、後に訪れる危機から脱出する際の大きな原動力になっていった、と考えられます。
 

◆バリアズニー・アセット創設


 2001年に彼ら3人は独立し、バリアズニー・アセットを創設しました。バリアズニー本人は同社でCIO(最高投資責任者)を担当。シュローダーは同社の事業開発、クライアントリレーションシップグループ、および会社の法的・規制的側面を率います。また、オマリーは同社の社長を務めるほか、会社のリスク、テクノロジー、運用、およびデータ・インテリジェンスを監督しています。同社では当初、いくつかのセクターに特化した株式のロング・ショート戦略をグローバルに展開するアトラス・エンハンスト・ファンドを主力ファンドに据えました。

 ところで、このファンドの名称は、バリアズニーが信奉するロシア系アメリカ人の小説家、アイン・ランド(本名アリーサ・ジノヴィエヴナ・ローゼンバウム、1905-1982年)の代表作である「肩をすくめるアトラス(原題: Atlas Shrugged)」に因んでいます。ランドは自らオブジェクティビズム(客観主義)と名付けた思想体系を提唱しました。それは個人が完全に自己の利益のために生きる権利を主張するものであり、特に個人主義、限定政府、資本主義を信条とする米国の右傾政治家に影響を与え、賞賛されている思想であるといいます。

 同ファンドは今でも同社の7割を占める主力ファンドですが、その後、グローバル・マクロ、クレジット・ロング・ショート、その他の戦略も追加しています。こうしたマルチ・ストラテジーによる展開が奏功し、同社は2001年のITバブル崩壊や2008年のリーマン・ショックの間も利益を計上。顧客からの信頼も高まり、運用資産は当時120億ドルに膨れ上がりました。ところが、2018年になると運用成績が急激に悪化し始めます。主力ファンドは損失を出し始め、運用資産は資金流出に見舞われて半減してしまいました。一体何があったのでしょうか。(敬称略、後編につづく)

 

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。