◆ハイテク株の女王
長い間、金融の世界は男性中心の社会でしたので、このコラムは『デリバティブを奏でる男たち』と題し、男性ばかり取り上げてきましたが、社会的なムーブメントとして広がりをみせる多様性を尊重し、第13回では初めて女性を取り上げます。
破壊的イノベーション(技術革新)とテクノロジーにフォーカスしたETF(上場投資信託)で有名な運用会社「アーク・インベストメント・マネジメント」の創業者であり、最高経営責任者(CEO)と最高投資責任者(CIO)の重責を担うキャシー・ウッドが本編の主人公となります。
アーク・インベストメントが管理するETFは、その独創的な投資アイデアと驚異的なパフォーマンスで近年、日本でも注目を浴びており、運用総額は2021年9月末現在およそ528億ドルにも上ります。そんな特徴的なETFを運用する彼女は「ハイテク株の女王」とも呼ばれています。
◆成績優秀なクリスチャン
キャサリン・ダディ・ウッド(通称キャシー・ウッド)は、アイルランドから移住してきたカトリック教徒の子供として、1955年に米カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。1974年にカトリック系の女子校であるノートルダムアカデミーを卒業後、南カリフォルニア大学へ入学。そこで金融と経済学を学び、1981年にサマ・カム・ラウディ(最優秀卒業生に与えられる名誉、日本でいう首席)で同校を卒業しました。
最適な税率の設定が最大の税収をもたらすという「ラッファー曲線」で有名な経済学者、アーサー・ラッファー教授の紹介によりウッドは在学中に、長い歴史と巨大な運用資産を誇る米金融サービス会社キャピタル・グループで、アシスタント・エコノミストとして3年間働きます。
大学卒業後はジェニソン・アソシエイツ(米国最大の保険会社プルデンシャル・ファイナンシャル<PRU>の資産管理子会社PGIMにおける株式投資部門)に就職。25歳にして同社のチーフ・エコノミストに就任しました。
同社の共同創業者で、CEOかつCIOのスピロス・セガラス(通称シグ・セガラス)は、チーフ・エコノミストである彼女のことを「信じられないほど揺るぎない信念を持つ女性」としてその手腕に注目します。そして「ドクター・ドゥーム(悲観博士)」の異名で知られたソロモン・ブラザーズのチーフ・エコノミストであるヘンリー・カウフマンや、ノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンなど、経済・金融界の著名人をよく連れてきてはウッドと盛んに議論させたそうです。ウッドは後に、そのおかげで議論の腕前が本当に高められた、と振り返っています。
◆エコノミストから運用者へ
1980年代初頭は金利が低下し始め、パソコンや半導体、携帯電話やインターネットなど、ハイテク企業が次第に新しい時代のイノベーションの主役になっていきます。そうしたテクノロジーが社会に変革をもたらすなか、ウッドはエコノミストを目標とするよりも、株式調査アナリストやポートフォリオ・マネージャーの道を歩む決意を固めます。
※1970年から1989年までの週足データ
彼女はジェニソン・アソシエイツで18年間も働き、最終的にはマネージング・ディレクター(執行役員)に就任しますが、1998年に同社の女性取締役兼エグゼクティブ・バイスプレジデントだった王周克璐(ワン・チョウ・ク・ユアン、英名ルル・C・ワン)と共にヘッジファンド、トゥペロ・キャピタル・マネジメントを共同設立します。
しかし、同社での活動は長続きせず、2001年に世界有数の資産運用会社アライアンスバーンスタイン・ホールディング<AB>へと転職。ポートフォリオ・マネージャーやテーマ研究ストラテジストを経て、グローバルテーマ戦略のCIOに就任。50億ドル以上の資産を管理する立場となります。
彼女は高成長でハイリスクな小型の株式に強い信念を持って投資し続けていましたが、住宅バブルを懸念して2006年に極端にリスクを抑えます。そのため同年のパフォーマンスは見劣りしてしまう結果となります。翌年は挽回しますが、2008年の金融危機によりまたしても運用成績を悪化させてしまいました。
◆新しい創造物に移ること
このとき敬虔なクリスチャンであるウッドは、神の啓示を受けたとされます。それは「神は私たちが過去に立ち往生することを望んでいません。彼は私たちが新しい創造物に移ることを望んでいます」といった内容でした。そしてこの啓示が、後に敬虔なクリスチャンである彼女の人生を大きく発展させることになります。
ウッドは神が望む「新しい創造物に移ること」を実現するため、「破壊的なイノベーションを内包する企業への集中投資」というアイデアを会社で披露します。しかし元々、彼女の投資スタイルはボラティリティ(予想変動率)が大きく、会社側は彼女にS&P 500のようなインデックスをもっと所有するように求めていました。このような会社ですから、彼女の斬新なアイデアはあまりにもリスクが大きすぎると判断します。
そこでウッドは12年間働いたアライアンス・バーンスタインを去り、その信念に基づいた投資アイデアを実現させるため、2014年に自らファンドを立ち上げました。それがアーク・インベストメント・マネジメントだったのです。
ちなみに社名のアークは、モーゼが神から授かった十戒を刻む石板を納めた聖櫃(せいひつ、アーク)に因んで名付けたそうですが、同社のホームページによると「Active(活動的な)」、「Research(研究)」、「Knowledge(知識)」の頭文字が社名の由来であるとしています。
もっとも、ファンドを立ち上げてから最初の3年間は、ウッドは事務所もないまま、手弁当で事業を展開していたといいます。そこに資金を提供する救世主が現れます。それが第1回で取り上げたアルケゴス・キャピタルのビル・フアンだったのです。
アルケゴス・キャピタルのビル・フアン(前編)―デリバティブを奏でる男たち【1】―
https://fu.minkabu.jp/column/926
アルケゴス・キャピタルのビル・フアン(後編)―デリバティブを奏でる男たち【1】―
https://fu.minkabu.jp/column/932
(敬称略、後編につづく)