ヘイマン・キャピタルのカイル・バス(後編)―デリバティブを奏でる男たち【39】―

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◆二匹目のどじょう


 今回はサブプライム問題で財を成したことで有名なヘイマン・キャピタル・マネジメントのカイル・バスを取り上げています。サブプライム問題に注目したとき、バスは自らのファンド以外に追加資本まで調達し、巨額のサブプライム・ショート・ポジションを構築しました。その後、この戦略は見事に的中し、1.1億ドルの投下資金は7億ドルにも膨らみましたが、利益を生むまでに1年以上の時間を要しています。その間にポジションを維持するための経費が嵩むなど、相当に追い詰められた場面もあったのではないでしょうか。
 
ヘイマン・キャピタルのカイル・バス(前編)―デリバティブを奏でる男たち【39】―
https://fu.minkabu.jp/column/1661

 彼は以前に在籍していたベア・スターンズ(2008年3月に米名門投資銀行JPモルガン・チェースが吸収合併)の破綻を促したのではないか、などとも報じられていました。サブプライム問題で経営が悪化したベア・スターンズが、JPモルガンによる吸収合併を余儀なくされたのは、同じく米名門投資銀行のゴールドマン・サックス・グループから取引を拒否された、との報道がきっかけだったとみられています。2016年の公開資料から、この報道の情報源は彼であったことが分かっています。もちろん、彼自身は破綻を促したなどという見方を否定していますが、ベア・スターンズの破綻が、彼のサブプライム・ショート・ポジションに有利に働いたことは想像に難くはありません。
 
 バスがサブプライム問題の次に目を向けたのが、ソブリン問題でした。2008年の金融危機は金融立国だったアイスランドに伝播し、同国の最大手銀行が債務不履行(デフォルト)に陥って破綻。同国の通貨アイスランド・クローナも暴落に見舞われます。また、ギリシャでは2009年の政権交代を機に国家債務の過小申告が発覚。格下げなどによりギリシャ国債は暴落し、欧州債務危機として他の欧州債やユーロの下落につながりました。
 
 バスはこうした問題を指摘し、ポジションを取ることで、サブプライム・ショートほどではありませんが利益を得たようです。そして、これらの実績が評価され、ヘイマン・キャピタルには資金が集まり、ヘッジファンドの帝王と言われるジョージ・ソロスからも資金を提供されていたと言われています。

 

◆日本売りの急先鋒


 バスは日本についても「デフォルトは不可避だ」として、2010年から債券安(金利上昇)・円安を狙ったポジションを構築していきました。2011年11月の顧客向けレポートによると「今後数カ月以内に、日本国債が危機に陥る可能性がある」と彼は主張しています。労働人口の減少などにより、いずれ貯蓄率がマイナスとなることが予想され、日本国債を国内投資家が買い支える構図に限界が来ている、と指摘していました。しかし、日本国債は危機に陥るどころか、資金流入が続いて債券高(金利低下)・円高となっていきます。

 2012年12月には第二次安倍晋三政権が発足し、「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を唱えます。当時の安倍内閣が日銀に大胆な金融緩和を迫ったことで円安に転じますが、日本国債は一段と買われるようになりました。2013年1月にバスは「日本の時限爆弾は2年以内に爆発する」などと激しい表現を用い、「金融緩和によって物価上昇率2%を目指せば長期金利は上昇、日本政府は国債の利払いに窮して日本国債は暴落する」などと、日本売りの姿勢を崩しませんでした。

 バスは同年5月のアイラ・ソン投資会議で「終わりの始まりが始まった」と述べ、日本政府は支払い不能で、米国のサブプライム問題を上回る債務危機に飲み込まれるだろう、と警告しました。ちなみに、アイラ・ソン投資会議(Ira Sohn Investment Conference、現在はソン投資会議と言われています)とは、癌を患って1993年に29歳で亡くなったウォール街のトレーダー、アイラ・W・ソンを偲んで設立されたソン投資財団が毎年主催する投資会議です。最近は3000人近くの投資家やヘッジファンド・マネージャーが参加する米投資業界の一大イベントとなっており、そこでは投資に関する最新の見解や様々なアイデアが発表されます。
 
 2022年はバーチャル開催となりましたが、第3回で取り上げた元クォンタム・ファンドの運用責任者だったスタンレー・ドラッケンミラー、第17回で取り上げたパーシング・スクエアのビル・アックマン、第31回で取り上げたD1キャピタル・パートナーズのダニエル・S・サンドハイム、第34回で取り上げたバウポスト・グループのセス・クラーマン、そして第36回で取り上げたグリーンライト・キャピタルのデビッド・アインホーンなど、そうそうたる面々がコメンテーターやコンテスト審査員などとして参加しています。
 

◆失われつつある神通力


 また、彼は日本の財政が「ポンジスキームにポンジスキームを追加する」のようなものだと批判しています。ポンジスキームとは、投資家から集めた資金を運用せず、配当金や返還金は他の投資家から集めた資金を流用することで、しっかりとした投資に見せかける投資詐欺の一種です。この手法で有名になった米国の詐欺師チャールズ・ポンジの名前に由来しています。
 
 確かに、わが国の107.6兆円にも及ぶ2022年度当初予算において、歳入の34.3%が公債金(国債により調達される収入)、歳出の22.6%が国債費(国債の償還と利払いを行うための支出)ということですし、2022年3月末時点で国債の発行額(国庫短期証券を除く)およそ1069.8兆円のうち48.2%を、紙幣を幾らでも印刷できる日本銀行が保有しています。このような状況では、ポンジスキームとは全く違うと言い切れないかもしれません。

日本の長期金利と為替
出所:財務省ホームページ

 今のところ日本国債はデフォルトに至っていませんし、国債の92.4%は日銀を含めた国内で保有されていることなどから、暴落懸念から売り込まれるようなことがあっても下値は限定的かもしれません。ただ、地方自治体の分などを加えた日本政府の債務は以前から大きく、2022年3月末現在では国内総生産(GDP)の256.9%と群を抜いて膨らんでいます。特に新型コロナウイルスの感染拡大による景気の極端な落ち込みを防ぐための財政出動で、一段と債務は膨らんでしまいました。それは他国も同様ですが、その反動により世界的にインフレ懸念が台頭。金融引き締めによる金利上昇が各地で散見されるようになりました。
 
 日本の場合、インフレ懸念は限定的ですし、日銀のイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)により、10年国債利回りは0.25%に抑えられています。しかし、いつまでも維持できるわけではないとの見方から、ヘッジファンドなどによる債券安(金利上昇)・円安を狙ったトレードがみられるようになり、前編の冒頭で示したようなバスの円安ツイートにつながっているようです。もっとも、いまのところ彼の日本売りは成功していません。また、2016年頃からは中国人民元の暴落、2019年頃からは香港ドルのペッグ崩壊などを声高に主張してポジションを張っているものの、これらも未だに実現していません。そのため、彼の神通力は次第に失われつつあるようです。(敬称略)
 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。