[Vol.1357] 気候変動問題の「溝」当事者たちのホンネは?

著者:吉田 哲
ブックマーク
原油反落。米主要株価指数の反落などで。85.39ドル/バレル近辺で推移。

金反落。ドル指数の反発などで。1,712.40ドル/トロイオンス近辺で推移。

上海ゴム(上海期貨交易所)反落。23年01月限は12,525元/トン付近で推移。

上海原油(上海国際能源取引中心)反落。22年12月限は670.7元/バレル付近で推移。

金・プラチナの価格差、ドル建てで710.7ドル(前日比5.7ドル縮小)、円建てで3,509円(前日比5円縮小)。価格の関係はともに金>プラチナ。

国内市場は以下のとおり。(11月10日 16時59分頃 6番限)
7,996円/g
白金 4,487円/g
ゴム 214.7円/kg
とうもろこし (まだ出来ず)
LNG 6,300.0円/mmBtu(22年10月限 8月5日午前10時35分時点)

●NYプラチナ先物(期近) 月足  単位:ドル/トロイオンス
NYプラチナ先物(期近) 月足  単位:ドル/トロイオンス

出所:楽天証券の取引ツール「マーケットスピードⅡ」より

●本日のグラフ「気候変動問題の『溝』当事者たちのホンネは?」
前回は、「アフリカが舞台でも『適応』の話は進まない?」として、今回の「COP27」で予想される「適応」と「資金」の展開について、筆者の考えを述べました。

今回は、「気候変動問題の『溝』当事者たちのホンネは?」として、当事者の種類とそれらのホンネについて、筆者の考えを述べます。

気候変動問題における「溝」は、「先進国かつ消費国」、「新興国かつ消費国」、「化石燃料生産国」、「異常気象により危機に直面している経済規模が小さい国」などの当事者が存在し、それらの思惑が異なっていることで生じていると考えられます。(下図参照)

いずれの主張ももっともであり、もっともであることは、それだけ歩み寄りが難しい(「溝」が埋まりにくい)と言えます。まだ、気候変動問題が「人類共通の課題」になりきれていないと言えそうです。

そうした事態を、気候変動問題が人類共通の問題であることを確認した上で、できるだけ化石燃料を使わないようにしながら(適応)、「資金」や技術で補い合おう、そしてそれに時間的な期限を設けて実行しよう、こうしたプロセスを進めていく上で、少しずつ歩み寄ろう、というのが「パリ協定」の本質なのだと、考えます。

そもそも「溝」がある状態とは、どのような状態なのでしょうか。筆者は、「異なる考えを持つ2者以上が存在している状態」であり、「当たり前の状態」だと考えます。有史以来、世界全体が統一されたことがないという事実を考えれば、「溝」は絶えず、世界のどこかに存在していたことになります。気候変動問題に限らず、もう少し広く「溝がある状態」について考えると以下のようになります。

・消費国と生産国、お互いの譲歩の度合いが低下している状態
→生産国が生産物を出し渋りして「武器利用」するなど。

・政治・経済など諸分野で、誰かが誰かを、意図的に強くおとしめようとしている状態
→選挙戦、経済制裁、人権侵害発生時などに顕在化しやすい。

・歴史上の禍根(かこん)が表面化している状態
→過去の大戦などで生じた禍根をもとに論陣を張る。

・本音をさらけ出す著名人に迎合する一部の大衆がいる状態
→過激な発言に迎合する人とそうでない人で差が生じる。

上記に限らず、世界には絶えず、誰かと誰か、何かと何かの間に、無数の「溝」が存在しています。私たちの身近にも「必ず」あります。

有史以来、「溝」がなくなったことがないのは、経済発展に(特に資本主義国家において)、「溝(余地)」が欠かせない存在だったことが大きいと考えます。できない自分と理想とする自分の間にある「溝(余地)」を埋める(0→1の創造)。持っていない自分と持っている相手の間の「溝(余地)」を埋める(シェア争奪)。

シンプルに言えば、「溝(余地)」を埋めることで資本主義は発展してきたと言えます。逆に言えば、資本主義の発展には「溝」は必要なのです。

これには、「人が人であること」が強く関わっていると、筆者は考えています。不安なことがあれば安心できるように行動する、自分よりも上のスペックを持つ人をみるとうらやましがる(羨望or嫉妬)、興奮するものを見たら関心を寄せる。人はこうした特徴を持つ、単純で感情的な生き物です。

何かが起きれば、感情の変化をきっかけに何らかの行動を起こすわけですので、行動前と行動後には「溝」があります。

人は日常的に、大なり小なり「溝埋め」を行っているのです。人の欲望が尽きないのも(溝の先にある次の欲望を満たしたがるのも)、溝埋めの連続の一つと言えるでしょう。ですので、先述のとおり、「溝」があるのは、当たり前なのです。

「溝」を作った人・組織が、主導権を握るケースがあることも事実です。一方的に強い人・組織、一方的に弱い人・組織、資源を持っている国、核兵器を持っている国、新しいモノ・コトを生む出す人・組織。

こうした誰かや何かが計らえば、「溝」を作ることは可能です。「溝」を作るということは、環境や前提などの「ルール」を変え、その分野で主導権を握ることができます(ゲームチェンジャーによる溝の逆利用)。

上記のように考えれば、「溝」はあって当たり前、必要(時には必要悪)であり、その存在を否定することは、われわれが人である以上、難しいと言えます。気候変動問題に関する「溝」は、存在するものの「それはゼロにはならない」という前提で議論を進めることが必要でしょう。

「全廃」「全停止」「全面禁止」など、化石燃料の消費、化石燃料を燃焼させる車や発電施設の稼働を、「全」が付く言葉で封じる、「溝」をゼロにする議論はそもそも正しくないのかもしれません。

その意味では、グラスゴーでの石炭使用の「廃止」は、熟考の余地があったのかもしれません。

図:気候変動問題の「溝」当事者たちのホンネ?
図:気候変動問題の「溝」当事者たちのホンネ?

出所:筆者作成

 

このコラムの著者

吉田 哲(ヨシダ サトル)

楽天証券経済研究所 コモディティアナリスト
1977年生まれ。2000年、新卒で商品先物会社に入社。2007年よりネット専業の商品先物会社でコモディティアナリストとして情報配信を開始。2014年7月に楽天証券に入社。2015年2月より現職。“過去の常識にとらわれない解説”をモットーとし、テレビ、新聞、雑誌などで幅広く、情報配信を行っている。2020年10月、生涯学習を体現すべく、慶應義塾大学文学部第1類(通信教育課程)に入学。