デリバティブを奏でる男たち【69】 バフェットの右腕にして左脳のチャーリー(前編)

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 第66回では、「10サプライズ(マーケットのびっくり10大予測)レポート」でお馴染みのブラックストーン・アドバイザリー・パートナーズ副会長、バイロン・リチャード・ウィーン(通称バイロン・ウィーン、1933-2023)を取り上げました。2023年10月に、彼が90歳でその生涯を閉じたことは非常に惜しまれるところです。

 今回は同じく2023年に鬼籍に入った著名投資家、バークシャー・ハサウェイの副会長であるチャールズ・トーマス・マンガー(Charles Thomas Munger:通称チャーリー・マンガー、1924-2023)を取り上げることとしました。彼は残念ながら今年11月に99歳で亡くなっています。バークシャーの会長兼最高経営責任者(CEO)であり、世界三大投資家のひとりに数えられるウォーレン・エドワード・バフェット(Warren Edward Buffett:ウォーレン・バフェット)は「チャーリーのインスピレーション、知恵、そして参加なしに、現在の状況を築けなかっただろう」と故人を悼んでいます。確かにマンガーの存在なくしては、バフェットも世界三大投資家のひとりに数えられることはなかったかもしれません。それほどマンガーはバフェットにとってかけがえのない右腕であり、左脳とも言える人物であったのではないでしょうか。
 

◆バークシャー前のマンガー


 マンガーは1924年1月にバフェットと同じ米ネブラスカ州のオマハで生まれました(ちなみにバフェットは1930年8月生まれです)。10代の頃はバフェットの祖父がオーナーであった食料品店「バフェット&サン」で働いていたこともあったそうです。高校を卒業後はミシガン大学で数学を専攻していましたが、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊に入隊するため中退。その後、軍の仕事としてニューメキシコ大学とカリフォルニア工科大学で熱力学と気象学を研究し、気象予報士としてアラスカ州の米空軍基地に配属されました。戦後はハーバード大学ロースクール(法科大学院)に入学。大学中退で学士の資格はありませんでしたが、学部長を説得して何とか入学を認めてもらいました。

 ロースクールをマグナ・カム・ラウド(成績上位10%の学生に授与される称号)で卒業し、法務博士(専門職)を取得。マンガーは地元の裕福な起業家を顧客とする法律事務所ライト・アンド・ギャレット(後のミュージック・ピーラー・アンド・ギャレット)に就職。父親と同じ職業である弁護士として1948年から働きました。マンガーが最初にバフェットと出会ったのは、それから11年後である1959年のことだったと言われています。1962年にマンガーは同僚と法律事務所を設立して不動産投資や土地開発を始めますが、それと同時にバフェットの勧めもあって投資パートナーシップを始めました。ポーカー仲間だったパシフィック・コースト証券取引所(2006年にニューヨーク証券取引所と合併)のトレーダー、ジャック・ウィーラーと提携してウィーラー・マンガー・アンド・カンパニーを設立。その運営に集中し、1965年には弁護士も辞めてしまいます。運用は好調でしたが、1970年代前半の相場低迷で損失を出し、1975年に提携を解消。その後はバフェットと仕事をするようになり、1978年にバークシャー・ハサウェイの副会長に就きました。

 

◆素晴らしいビジネスを買おうじゃないか


 当時のバフェットの投資スタイルは、師匠のベンジャミン・グレアム(Benjamin Graham、1894-1976)に教わった通りのバリュー株投資でした。経済学者であると同時に投資家でもあったグレアムはバリュー株投資の父と言われ、デヴィッド・L・ドッド(David LeFevre Dodd、1895-1988)との共著「Security Analysis(証券分析)」(1934)や「The Intelligent Investor(賢明なる投資家)」(1949)が著作として有名です。バフェットはグレアムの優秀な教え子であり、一時はグレアムの投資会社の社員でもありました。バリュー株投資は割安に放置されている会社を見つけて投資するわけですが、別名「葉巻の吸い殻」投資といい、誰もが捨ててしまうけれど最後の一服が味わえる、いわゆるシケモクを探して拾うスタイルの投資とも言われていました。そうした投資先の一つが、1965年に買収した繊維メーカーのバークシャー・ハサウェイでした。

 こうした投資スタイルにマンガーは注文を付けます。「まともな企業を素晴らしい価格で買うことについての知識は忘れて、素晴らしいビジネスを公正な価格で買おうじゃないか」と。そこそこの企業を素晴らしく割安な価格で買っても株価が高くなれば売ることになるし、売ればキャピタルゲイン税が発生します。それよりも素晴らしいビジネスを買えば売ることもないし、キャピタルゲイン税も払う必要がないという考え方です。バリュー株投資で既に上手くいっていたバフェットは当初、そのような投資スタイルには消極的でした。しかし、繰り返し同じことを言うマンガーの投資哲学に反論の余地はなかった、と言います。押し切られるように米チョコレート・メーカーのシーズ・キャンディーズを、純資産の3倍に相当する2500万ドルで買収しました。この会社は後の数十年間でバークシャーに約20億ドルの利益をもたらすことになります。

 それ以来、バリュー株投資の追求を止め、公正な価格で販売されている素晴らしい会社を追求するようになった、とバフェットは述べています。もっとも素晴らしいビジネスは普段から非常に高く評価されており、公正な価格になるタイミングは滅多にありません。マンガーに言わせると、投資で成功する鍵は、何年も、あるいは何十年も何もせずに待ち続け、最終的にバーゲンが実現したときに「積極的に」買うことだそうです。このルールに従って、バークシャーが現在も筆頭株主であるコカ・コーラを買い始めたのは、ブラックマンデー(暗黒の月曜日)翌年の1988年でした。また、米名門投資銀行ゴールドマン・サックス・グループへの投資は、2008年のリーマン・ショックで市場がパニックになっている最中のことです。この成長株のバーゲン・ハンティングとも言える投資スタイルを武器に、バークシャーは大きくなっていきました。ブラックマンデーやリーマン・ショックにつきましては、ご承知の向きも多いと思われますが、当時の状況は以下をご参照ください。

▼1987年 ブラックマンデー(前編)(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【2】
https://fu.minkabu.jp/column/603
https://fu.minkabu.jp/column/613

▼2007年 サブプライム問題(前編)(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【8】
https://fu.minkabu.jp/column/724
https://fu.minkabu.jp/column/733

▼ブラックロックのラリー・フィンク(後編)―デリバティブを奏でる男たち【12】
https://fu.minkabu.jp/column/1147

(敬称略、後編につづく)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。