デリバティブを奏でる男たち【87】 英クオンツ界の大御所、アスペクト・キャピタル(後編)

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 今回は英クオンツ界の大御所であるアスペクト・キャピタルを取り上げています。同社は第37回で取り上げた世界最大の上場ヘッジファンド、英マン・グループのAHLで働いていたアンソニー・ジェームス・トッド(Anthony James Todd)、マーティン・ルーク(Martin Lueck)、ユージン・ランバート(Eugene Lambert)によって1997年に創設されました。しかし、創設して数年後に窮地に立たされます。

 同社は設立当初、機関投資家へのマネージド・フューチャーズ戦略の提供を掲げて営業活動を始めましたが、欧州の機関投資家は保守的であり、こうした戦略になかなか賛同しませんでした。そうこうしているうちにアスペクトの運転資金が底を尽きてしまいました。そこで、マン・グループの子会社となったRMF(2002年にマン・グループが買収したスイスのヘッジファンド)に相談したところ、1992年にRMFを共同創業したライナー=マーク・フレイ(Rainer-Marc Frey、名前が社名の由来になっていると考えられます)がアスペクトの運用姿勢に強い興味を示します。そして、RMF から4000万ドルを出資してもらい、何とか息をつなぐことができました。

 また、アスペクトは2006年に米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ<AIG>の子会社であるAIGファイナンシャル・プロダクツ(AIG-FP)からも出資を受けます。当初、AIG-FPはアスペクトのFXプライム・ブローカーでした。これらの出資を得て、アスペクトは世界最大の上場ヘッジファンドの関連会社に、また世界最大の保険会社の一部となりました。こうした資本関係を背景に機関投資家から信用を得ることに成功したため、後の営業活動はスムーズだったようです。しかし、これらの出資会社はいずれも消滅してしまうことになります。

 

◆出資会社の消滅


 AIG-FPは、サブプライム住宅ローンを証券化したRMBS(Residential Mortgage Backed Securities、住宅ローン債権担保証券)のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を大量に抱え、これが2008年春に多額の損失となったため事実上破綻します。同社の問題は親会社のAIGにも及び、AIGが一時国有化される事態に発展しました。当時の話やAIGの救済に関しては以下をご参照ください。

▼デリバティブ投資手法の進化(破壊と創造の歴史)【8】 2007年 サブプライム問題(前編)
https://fu.minkabu.jp/column/724

▼ブラックロックのラリー・フィンク(後編)―デリバティブを奏でる男たち【12】―
https://fu.minkabu.jp/column/1147

 一方のRMFはハイイールド債(投資不適格債)や転換社債を運用対象としていましたが、2001年からヘッジファンドなどにシード・キャピタル(創業資金)を提供するプライベート・エクイティも手掛けます。しかし、マドフ投資スキャンダルに巻き込まれてしまい、大量償還を余儀なくされました。2009年にRMFは、同じくマン・グループのグレンウッドに救済統合されます。マドフ投資スキャンダルとは、バーナード・ローレンス・マドフ(Bernard Lawrence Madoff、通称バーニー・マドフ、1938-2021)が行った大規模なポンジ・スキーム(投資詐欺)でした。ポンジ・スキームに関しては以下をご参照ください。

▼ヘイマン・キャピタルのカイル・バス(後編)―デリバティブを奏でる男たち【39】―
https://fu.minkabu.jp/column/1671

▼スリー・アローズ・キャピタルの破綻(後編)―デリバティブを奏でる男たち【43】―
https://fu.minkabu.jp/column/1752

▼フランス最大のヘッジファンドCFM(後編)―デリバティブを奏でる男たち【84】―
https://fu.minkabu.jp/column/2429

 マドフが経営するバーナード・L・マドフ投資証券会社は、もともと店頭市場でペニーストック(株価5ドル未満の株式)の売買を取り扱うために1960年に設立されました。この市場は当局から投資詐欺の温床とみられていました。やがて同社は値付け業者として頭角を現し、一時は米ナスダック市場でトップの値付け業者になります(マドフは投資詐欺を1990年代初頭から始めたと述べていますが、1970年代初頭からだったという従業員の証言もあります)。ところが、2008年のリーマン・ショック時に、70億ドルもの資金償還を求められ、これに応じることができず、事件が発覚しました。被害総額は推定で650億ドルといわれています。

 RMFは投資しているファンドを通じてマドフ投資証券に、3.6億ドルを投資していました。ちなみに、野村ホールディングス<8604> [東証P] グループも、RMFとほぼ同額を投資していたほか、日本の機関投資家も幾つか同様の投資で損失を被っています。

 

◆アスペクトの戦略紹介


 アスペクトは市場が進化することを前提にしており、当初のプログラムに継続的に改良を施しています。もちろん、投資効率を良くすることが目的ですが、そのほかにも市場から自分たちの存在が見えないようにするため、ブローカーを通さないダイレクト・マーケット・アクセス技術も加えます。こうした改良にアスペクトは多額の研究開発費と人材を投入しています。もっとも、HFT(高頻度取引)は行わず、HFT業者のように数分ごとや数時間ごとにプログラムを変更するようなことはしません。彼らと競合しないように、中期的なトレンドを捉えることを目指しています。

 ただ、2009年から2019年くらいの間は、トレンドフォロー戦略にとって受難の時代でした。過去のデータから利益が出る手法をプログラムしても、上手く機能しないことが多く、多くのクオンツ・ファンドが利益を出しにくかったようです。その背景として、米連邦準備制度理事会(FRB)による超金融緩和政策が長く続き、市場のボラティリティが失われ、トレンドらしいトレンドが生じづらかったことが挙げられます。加えて、似たような投資手法を行う投資家がひしめき合っていたことも指摘されています。このような厳しい状況を乗り越え、現在のアスペクトの投資プログラムは以下のように分かれています。

投資プログラム1 トレンドフォロー
 1-1 アスペクト・ダイバーシファイド・プログラム
 1-2 アスペクト・コア・ダイバーシファイド・プログラム
 1-3 アスペクト・オルタナティブ・マーケット・プログラム
 1-4 アスペクト・チャイナ・ディバーシファイド・プログラム

投資プログラム2 マクロと通貨
 2-1 アスペクト・システマティック・グローバル・マクロ・プログラム

投資プログラム3 マルチストラテジーとカスタマイズ・ソリューション
 3-1 アスペクト・マルチ戦略プログラム
 3-2 アスペクト・アブソリュート・リターン・プログラム

 1-1は同社のメイン・プログラムであり、システマティックでモメンタム(勢い)ベースの投資を行うほか、さまざまなプログラムを組み合わせて一体化させています。投資対象は株式や債券、商品など8つの異なる資産クラスの先物やオプションといったデリバティブが中心で、それらのリターンが相関しないようにプログラムされているようです。

 また、1-2は中期的なトレンドフォロー・プログラムとなっており、純粋な単一因子時系列モメンタム・アプローチを行っています。

 1-3も中期的なトレンドフォロー・プログラムですが、投資対象は新興市場、ETF(上場投資信託)、流動性の低い先物、クレジット市場やスワップ市場など、一般の投資家にはアクセスが難しいオルタナティブな金融商品が中心となっており、2017年から導入しました。

 そして1-4は、中国の多様な金融商品、および商品先物などを取引する体系的なモメンタムベースの投資プログラムです。

 2-1では、マクロ戦略に基づいて、グローバルな債券市場や株式市場、通貨およびボラティリティ(変動率)市場で、裁定取引やレラティブ・バリュー(相対的価値)をシステマティックに行う、非トレンド系のクオンツ・マクロなプログラムです。クオンツ・マクロに関しては以下をご参照ください。

▼デリバティブを奏でる男たち【57】 グラハム・キャピタルのケネス・トロピン(後編)
https://fu.minkabu.jp/column/1986

 3-1は、アスペクトのシステマティック投資モデルを最適に組み合わせた統合型マルチストラテジー・プログラムです。このプログラムは、従来のポートフォリオや主要な資産クラスとの相関性が低く、一貫したアルファ主導のパフォーマンスを目指しています。

 そして3-2は、市場環境に関係なく、オーダーメイドの安定した分散リターンを目的として、さまざまなモデルや資産に投資します。
 

◆再び受難の時代か、一時の不調か

 

 前編の冒頭に示した通り、2024年1-3月期はクオンツ系ファンドにとって絶好調の時期でした。しかし、4-6月期はほとんど稼げなかったようで、アスペクトも主力ファンドは若干マイナスです。そして、2024年8月の相場急変時にはポジションを一時縮小しました。その中には東京株式市場の先物も含まれていたようです。日本銀行の想定外の利上げなどをきっかけに急激な円高と日本株安に見舞われ、他の市場もリスク回避の地合いを余儀なくされました。

 アスペクトのようにトレンドフォロー戦略では、ボラティリティが急上昇するとポジションを縮小するようにプログラムされていることが多いとされています。特に中期的なトレンドを狙っている場合、プログラムが相場急変についていけないため、このような対応になると考えられます。しかし、それによってリスク回避地合いに拍車が掛かかることも事実です。トレンドフォロー戦略は、ボラティリィティが失われると稼ぎにくくなり、ボラティリィティが急上昇しても稼ぎづらい、非常に手間のかかる戦略といえるでしょう。このような不調が一時的なのか、あるいは再び受難の時代への入り口なのか、その結果は後に分かることです。しかし、これまで生き残ってきたアスペクトは、プログラムに改良を重ねながら、これからも生き残っていくことが期待されます。(敬称略)

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。