キニコス(皮肉屋)のジム・チェイノス(後編)―デリバティブを奏でる男たち【42】―

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◆金融危機ではムーディーズ


 今回は「金融界の探偵」を自称するキニコス・アソシエイツ、改めチェイノス・アンド・カンパニーのジム・チェイノスを取り上げています。米国でサブプライム住宅ローンを組み込んだ金融商品が大きな問題となっていた2007年に、チェイノスは格付け会社ムーディーズ<MCO>に対し同社は既に中立的な格付け会社ではなく、証券化商品の会社だと指摘し、「審判がプレーヤーになっている」と強く批判して空売りを仕掛けました。

 もちろん、ムーディーズは証券化商品を組成して販売する会社ではありませんが、不当に高い格付けを付与することで、証券化商品の会社と一蓮托生であると、チェイノスは言いたかったのでしょう。そして、高格付けのサブプライム住宅ローン関連の証券化商品が破綻したら、同社は損失を被った投資家から訴えられ、格付けそのものが信用を失うことになると警告しました。

ムーディーズ 月足
ムーディーズ<MCO> 月足

 この問題を恐れてか、2007年の夏に格付け各社は揃って同関連商品の格付けを大幅に引き下げます。中には最上級の格付けであるトリプルAから破綻寸前のトリプルCへと、一気に17段階も引き下げられた金融商品もありました。機関投資家はトリプルBマイナスより下の格付けを投資不適格とし、一般的に格付けがこの水準に下がった金融商品は触らないものです。そして、保有金融商品の格付けが同水準近くまで下がると、機関投資家は手放すことを余儀なくされ、これら金融商品の価格下落に拍車を掛ける結果となります。サブプライム問題に関しては以下をご参照ください。

▼2007年 サブプライム問題(前編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【8】
https://fu.minkabu.jp/column/724

▼2007年 サブプライム問題(後編)―デリバティブ投資手法の進化―破壊と創造の歴史【8】
https://fu.minkabu.jp/column/733

 ちなみに、投資不適格の格付けが付与されている債券を、金融界では「ジャンク(役に立たないもの)債」と呼びますが、顧客販売用には「ハイイールド(高金利)債」と呼称しています。確かに投資不適格債は高金利になりますので、これは嘘ではありませんが、投資に不適格なほど高リスクである点を感じさせないネーミングに、金融界に残る「騙される奴が悪い」的な思考を垣間見ることができます。

 

◆なかなか実現しない見立て


 ムーディーズの空売りで利益を得た2008年末に、キニコスの運用資産は約70億ドルとピークを迎えます。その後にチェイノスは中国の不動産バブルの崩壊を予見しますが、なかなか実現せぬまま運用資産は減少を続け、直近では3億ドル程度まで低下しています。もっとも、中国に対するチェイノスの見立ては間違っておらず、2015年には人民元ショックが起こり、2021年には中国の不動産会社大手、中国恒大集団(チャイナ・エバーグランデ・グループ)が経営破綻に追い込まれたことは周知の通りです。

 また、運用資産減少の原因のひとつとして挙げられるのが、米EV(電気自動車)メーカー、テスラ<TSLA>への空売りです。チェイノスはテスラに対して、借り入れが極端に多くレバレッジを効かせた資本構成であるほか、競争の激化に直面しており、不採算で構造的な赤字体質にあると判断します。そして、2015年から空売りを始めますが、なかなか思い通りにはなっていないようです。

テスラ 月足
テスラ<TSLA> 月足

 

◆ラッキンとワイヤーのショート


 ショートセラー(空売り投資家)としても有名なチェイノスですが、ドイツ銀行<DB>傘下のアトランティック・キャピタルから独立する前に、ショートセラー・ネットワークの中心人物として新聞記事に描かれたことでアトランティックを解雇されたことは、前編で触れました。そうしたチェイノスのネットワークは独立後に「Bears in Hibernation Conference」(冬眠する熊たちの会合)として確立します。ここでの「熊」とは弱気を意味し(その由来は上から下に攻撃する熊の攻撃方法にあります)、ショートセラー同士が定期的に集まっては情報交換する場を提供しているそうです。

 この会合でチェイノスは、第19回で取り上げたショートセラー、マディ・ウォーターズのカーソン・ブロックから、中国版スターバックスと言われたコーヒーチェーン、瑞幸珈琲(ラッキン・コーヒー)を調べるように勧められ、2020年から空売りを仕掛けました。同年4月にラッキンは2019年の売上高が捏造(ねつぞう)されていたと公表。株価は大きく下落した後、翌々月には売買停止となり、上場廃止を余儀なくされました。チェイノスは空売りポジションを買い戻し、大きな利益を得ます。ラッキンに関しては第18回で取り上げたシトロン・リサーチのアンドリュー・レフト(後編)でも触れていますので、ご参照ください。

▼シトロン・リサーチのアンドリュー・レフト(後編)―デリバティブを奏でる男たち【18】
https://fu.minkabu.jp/column/1266

 加えてチェイノスは、2020年に不正会計が発覚して経営破綻したドイツの決済サービス大手、ワイヤーカードの空売りにも成功しています。ワイヤーカードのビジネスモデルに対する疑問や会計慣行に対する批判は2015年辺りから出始めますが、チェイノスは当初から参戦していたわけでなく、売り始めたのは2019年からと言われています。同年にワイヤーカードの利益が不正に膨らみ、監査法人に提出された文書に記載されている顧客は実在しないことが発覚。そこでチェイノスは売り乗せします。その後にワイヤーカードが破綻したことで、1億ドルほどの利益を出したようです。

 ワイヤーカードに関しては、第41回で取り上げたオデイ・アセットのクリスピン・オデイ(後編)でも触れていますので、そちらもご参照ください。

▼デリバティブを奏でる男たち【41】 オデイ・アセットのクリスピン・オデイ(後編) https://fu.minkabu.jp/column/1709
 

◆売りだけではない


 前編でも触れましたが、チェイノスは徹底した調査でターゲットを見つけるボトムアップ・スタイルです。まずは財務諸表などを読んで、企業のビジネスモデルを理解することから始め、3回読んでも何故この会社は利益が出ているのかが理解できない、となれば「何かある」と見るようです。このときにこのような企業では、技術の陳腐化、消費者の流行、単一製品企業、買収や会計ゲームによる成長などといった特定のテーマが頻繁に見られると言います。そして、会計規則や規制を厳守しながらも、投資家を欺く意図があるのではないかと疑って調査するようです。

 もっとも、チェイノスは空売りばかりでなく、ロング・ショート戦略やアービトラージ(裁定取引)もよく使います。例えば2021年のゲームストップ<GME>騒動では、米株式市場で個人投資家の人気が高い「ミーム株(はやりの株)」が、バリエーションでは全く説明ができないほど値上がりをしていましたので、ショートセラーならば積極的に空売りを仕掛けるところでしょう。しかし、チェイノスは違っていました。

 確かにミーム株の代表格とされる米映画館運営のAMCエンターテインメント・ホールディングス<AMC>の普通株を空売りしていましたが、同時に発行されたばかりの値崩れしている同社優先株を買うといったアービトラージを行います。AMCの発表資料では、優先株に関して「普通株1株と同じ経済的権利や議決権を持つように設計している」と説明されており、また株主総会の承認を得られれば、優先株を普通株に転換することもできます。加えて優先株は、普通株に優先して配当や残余財産を得られます。そのため、チェイノスは「いずれは同じ価格になるはずだ」とみたようですが、その価格が収斂するにはまだ時間が必要なようです。やはりショートセラーには、チェイノスのような不屈の精神が不可欠なのでしょう。(敬称略)

 

このコラムの著者

若桑 カズヲ(ワカクワ カズヲ)

証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。